皆さんはアルバートフィッシュと言う人物を知っているでしょうか。
アルバートフィッシュは「人間から人間の排泄物まで食べてしまう狂人」です。
今回の記事では、彼の生い立ち、性癖、事件について触れていきます。
この記事では少しグロすぎるような表現があるかもしれないので、読み進めていく際は注意しながら読み進めていってくださいね!
この記事では性的、グロテスクな表現を多用しています。
苦手な方は閲覧を控えることをお勧めします。
1910年から1943年にかけて多数の児童を暴行し殺害した最悪の殺人鬼です。
正確な数字は定かではないのですが、約400人殺害したと自供しているのです。
彼の目的は殺害だけではなかったのです。
肉を食べる目的で殺人を行ったりしたことから、「ブルックリンの吸血鬼」とも呼ばれています。
さらに、犯行が満月の日に行われていたことから「満月の狂人」と呼ばれたりすることもあります。
他にも、「グレイマン」との異名も持っています。
身長は165cm、体重58kgと小柄であり、仕事は塗装工をしていました。
結婚して妻と子供もいました。
1870年5月19日、アメリカ合衆国ワシントンDCで生まれます。
本名「ハミルトン・ハワード・フィッシュ」ですが「ハム・アンド・エッグ」と揶揄われることを嫌い、10代の頃に「アルバート」に改名します。
彼の父親はアルバートが生まれた時点で「75歳」で彼が5歳の時に亡くなりました。
父親が亡くなってから母親が仕事に就くまでは、孤児院に預けられて育ちます。
そして、成人した彼は9歳下の女性と結婚し6人子供を授かるのでした。
しかし、結婚生活は19年で終わりを告げ、彼は全米を放浪する生活を送ることになるのでした。
精神疾患を持っているのはアルバートだけではないのです。
アルバートの家族も代々精神疾患者が多いという事実があります。
父親は躁うつ病で宗教狂、母親は幻覚症状に悩まされていたそうです。
また、兄弟たちも精神情弱者で、少なくとも2人は精神病院にて亡くなっているのです。
彼は数々の性癖を持つ人物です。
その性癖は常人からしたら到底理解されづらいものです。
マゾヒズムとは、自分自身を肉体的精神的に苦痛を与えて、羞恥心や屈辱感を誘導されることによって、性的興奮や快感を味わう性癖のことです。
彼はこの性癖が強く、我が子に「無数の釘が打ち付けられた板で自分の臀部を叩くように願いこむ」ほどです。
この行為は逮捕されるまで続きます。
自身の陰嚢に針を突き刺したり、ライターオイルを染み込ませた綿球を直腸に入れて火をつけるなどといった外れた行為をしていました。
アルバートのレントゲン写真には、陰嚢部分に約29本もの様々な針が映し出されていました。
この性癖は、孤児院にいる時に教鞭による指導によって覚えたそうです。
鞭でお尻を叩かれていたのですが、この時彼は快感を覚え勃起していたそうです。
サディズムとは、相手の体を痛めつけて性的快感を得ることです。
アルバートはこの性癖も孤児院で身につけたと語っています。
他人が鞭打ちされるのを見ていることにも興奮を覚えたそうです。
このことが原因で孤児院で気味悪がられいじめを受けるようになるのです。
アルバートは殺した後に被害者の肉を食べると言う恐ろしい習慣がありました。
アルバートの兄は戦争に行っており、戦争で体験した話をアルバートにするのです。
その一つに「人肉を食べる」と言う話題もありアルバートは興味を惹かれていきます。
逮捕後の警察の取り調べにて「耳や鼻をシチューに入れたりしていた」と自慢げに語ったそうです。(この事件は後ほど語ります)
さらに、排泄物を食べると言った変わった性癖も持っていました。
12歳の頃にあった電報配達をしていた少年が影響しています。
この少年も食糞、飲尿で性的興奮を覚えると言う性癖の持ち主でした。
この少年とアルバートは親密な関係を持ち、次第にアルバートも排泄物を食べる性癖を持つようになるのでした。
彼に手によって殺められた被害者のほとんどは「児童」でした。
これは、12歳の頃の「排泄物食」の性癖を持つ少年と性行為を行ったことが影響しています。
この頃からアルバートは年下の男の子が好きだと自覚するのです。
成人になると、男の裸が見れると言う理由でサウナに浸り、言葉巧みに少年を誘い強姦していたのです。
この行為は結婚してからも続いたそうです。
子供が泣き叫ぶ声や悲鳴を聞くだけで快感を覚え、絶頂に至るまでだったそうです。
彼は、グロすぎる事件を多数起こしておりここでは紹介しきれないものもあります。
そんな事件の中から筆者が印象に残った1件の事件を紹介したいと思います。
1927年、ビリー・ガフニー4歳がアパートの外で友達と遊んでいたところを連れ去られます。
この事件についてアルバートは弁護士に手紙を書いています。
そこには犯行内容が細かに書かれていたのです。
私は坊やの裸のお尻を、血が流れるまで鞭で打ちました。そして、耳と鼻を削ぎ落とし、口の両側を耳まで切り裂き、目玉をくり抜きました。その時はもう、坊やは死んでいました。
まず腹にナイフを突き刺して、流れる血を飲みました。それからからだを切り刻みました。頭、足、腕、手、膝から下を切断して、それぞれを石を詰めた麻袋に入れて池に棄てました。
好きな部分の肉は家に持って帰りました。まず耳と鼻と顔や腹から削いだ肉でシチューを作りました。たまねぎとニンジンとカブとセロリを入れて、塩と胡椒で味付けしました。なかなかいい味でした。
お尻の肉は二つに切り分けて、おちんちんと一緒に皿に置き、細かく刻んだベーコンを載せてオーブンに入れました。15分ほど焼いたところで、ソースを作るために半リットルの水をかけ、タマネギを4つ入れました。そして肉が焦げないように、たびたび木のスプーンで肉汁をかけました。
2時間ほどすると、肉はこんがりと焼き上がりました。ぽっちゃりした坊やのお尻のおいしいことといったら、ローストターキーなんか比べものになりません。私は4日かけて、そっくり平らげました。小さなおちんちんはナッツみたいで美味でしたが、睾丸は硬すぎて噛み切れないのでトイレに棄てました。」
ガフニーの遺体はいまだに発見されていません。
アルバートは逮捕され、裁判にかけられます。
精神鑑定の結果キッパリとした精神異常者であることが証明されます。「この精神異常はアルバートの気質ではなく、不幸な環境によって作りあげられてしまった。彼も一種の被害者である。」と主張します。
しかし、世論は大勢アルバートの死刑を望み、陪審員は死刑判決を下すのです。
1936年1月16日に電気椅子によって死刑が執行されます。
その最中彼は「一生に一度しか味わえない、最高のスリル」と語ったのです。