日本三大妖怪の一角として名高く、妖怪達の中でも比較的広範囲で伝承が残っている河童。
他の三大妖怪「鬼・天狗」と同じように名前を聞いただけで姿を想像できるほど身近な存在となっており、ご当地お土産のキャラクターとしても多く活躍をしております。
しかし身近な存在といっても河童が「水死体」であったことや、中国から渡来してきてことなどはご存知ない方が多いです。
そんな謎多き河童を本記事で歴史を交えながら紹介していきます。
河童は広く妖怪として認識されていますが原形初期までを歴史追っていきますと、まず西日本では中国から伝わり徐々に今の形に形成されていったとされており「猿喉」と呼ばれていました。
猿喉は肛門から手を入れて肝を抜き取ると言われており、現在まで伝わっている「しりこだまを抜く」という起源になっているのではないかと思われます。
妖怪が中国由来であることは有名ですが、河童もそうであったとは驚きですね。
そして反対の東日本では「左甚五郎」が自らの仕事を手伝わせるために生んだ人形が変化していったという説があります。
人形が変化したという説はあまり知っている方がいらっしゃらないので、話のネタとして面白いです。
ちなみに左甚五郎とはかの有名な日光東照宮の「眠り猫」などを彫刻した人物ではと言われており、日本彫刻界においてビッグネームとなります。
上記の点を踏まえますと各地で伝承が変化しているのはルーツが違うからという点で理解することができますね。
テレビのオカルト特番などで河童のミイラなどが有名になりましたが、実際は江戸時代に人工的に作成された人工物でありカワウソやフクロウの骨などを加工して作られていることがわかっています。
また姿が確認された河童は人の水死体である可能性が高く、水死体は皮膚が緑色に変色し
頭髪が抜けて異形となってしまうため河童と勘違いされたのではないかと言われています。
河童の伝承が残る場所は沼や川などが多いですので、水辺の危険性を子供でも伝わるように生まれた可能性もありますね。
ですが未確認生物として未だに目撃情報があがりますので、もしかしたらという場合も信じたいところ…
川や水辺に棲む河童とは違い、山に棲む河童のことを「セコ」といいます。
正しくは河童が山に移り棲んだ後の呼び名ですのであくまでセコという妖怪の一種になります。
幼い子供の出立をしており、1つ目であったり一本足であったりと様々な形状にわかれているのが特徴です。
様々な伝承がある河童と違い悪さをすることメインで言い伝えられていますので、山で起きたなんらかの事象に理由をつけるために生まれたのかなと思われますね。
しかし九州を中心に広まっている妖怪ですので、北方面ではあまり有名でないのが残念なところ。
長野の千曲川で河童を捕まえ臼に縛って魚を食べさせながら飼っていたところ、ある晩夢でゴボウの種を絶やさないようにするから助けてほしいと願われたそうです。
そして願い通り河童を放してやったところゴボウがよく取れるようになったと言われております。
また河太郎という別の伝承も残されています。
茨城県龍ヶ崎市にある牛久沼では悪さをした河童を捕まえ松の木にくくりつけたが、改心したので逃がしたところ草刈りをしてくれた伝承があります。
他にも河童の手を拾って返したら万能な薬の作り方を教えてくれたなどの伝承があります。
他の伝承と違い九州には九千匹という多くの河童を束ねていた九千坊という妖怪がおり、
悪さをしていたそうです。
また大分県には河童の力により村の平和が守られているという言い伝えが残っており
福岡県には河童同士の戦争など多くの記録が残っています。
上記以外にも様々な伝承や、地元の方しか知らない言い伝えもあると思いますのでぜひ周りで言い伝えが残っていないか探してみてください。
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