日本最強の剣豪や伝説の侍など、日本人であれば知らない人は居ないほど、”有名な剣士”と言えば、「宮本武蔵」がその一人ではないでしょうか?
日本でも有数の強さの象徴であり、彼の生涯不敗伝説は今後も語り継がれていくでしょう。
有名な小説であれば吉川英治氏の著作である「宮本武蔵」や大河ドラマ、漫画家では井上雄彦氏の「バガボンド」など、多くの題材にも取り上げられています。
宮本武蔵の実像についての研究は多くの歴史家やいわゆる武蔵愛好家によってなされているところですし、宮本武蔵の本なども数多く出版されていますね。
武蔵のもっとも有名な著作は、彼が死の数年前から書き始めたとされる「五輪書(ごりんのしょ)」です。
これは宮本武蔵が開祖となった二天一流兵法をまとめた兵法書として多くの現代語訳でも出版されています。
しかし、彼の本質は「獨行道(どっこうどう)」と呼ばれる、自身の人生を振り返った文章にまとめられていると言われています。
宮本武蔵自身は、まさに名言と呼べるような数々の言葉を残していますが、今回はあえて捻くれた見方でこれらを解釈していこうと思います。
先にお断りを入れておきますが、僕自身は宮本武蔵の大ファンです。その上で今回は捻くれた解釈をしてますのでご了承下さい
今回紹介したいのは、宮本武蔵自身が残した著作である五輪書、そして独行道に記された言葉から見る「宮本武蔵は生涯童貞だった説」です。
何故このような解釈になったかを解説するためには、五輪書や独行道に触れる必要がありますので、そちらも合わせて楽しんで頂ければと思います。
よく、五輪書は読めば現代サラリーマンにも通じる哲学であるという人も居ますが、個人的にはいくつかの五輪書を読んでみてもビジネス哲学とは感じられるポイントがありませんでした。
五輪書は基本的に現代語訳にされていることが多く、その訳者によって色々な註釈が入っていることがあります。
そういった解釈によって五輪書の内容を現代の考え方に置き換えることは出来ますが、基本的にはやはり兵法書の色が強いです。
何故、五輪書はこれほど兵法書の色が強いのか?というのが、今回紹介したい「宮本武蔵は生涯童貞だった説」に繋がりますので紹介していこうと思います。
実は五輪書そのものも、宮本武蔵本人が書いた原本がないため、もっとも近いであろうと言われているのは写本の細川家本です。
細川家は後年の宮本武蔵を客分として迎えた当時の熊本県であり、五輪書そのものも熊本市の金峰山にある霊巌洞で書かれたものとされています。
肝心の五輪書の中身ですが、基本的には全編を通していわゆる剣術の指南、鍛錬内容が書かれており、他流派と自分の二天一流兵法の違いを指摘するなど、多くの部分である意味では役に立つことしか書いていません。「千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とする」など、名言と呼べるような言葉も残っていますが、これはおそらく武蔵の使う剣術があまりにも難しすぎるため、生まれた言葉なのではないかと思うことがあります。
いくつかの剣術の項目を読んでも、締めの言葉は「よくよく鍛錬しなければならない」と説いています。
1つの技術を覚えるために万日をかけて練り上げるというのは、ある意味狂気に近い悟りです。
1年が365日ですから、10年で約3650日。道を極めるためには約30年修行しなさいと武蔵は説いています。
サラリーマンがこれを哲学に使えるかと言われれば、中々難しいところなのではないかと思ってしまうんです。
何故なら、これに加えて前述した独行道という教訓があるからです。
宮本武蔵が自身の生き方を振り返った、いわば人生を集約した言葉が独行道と呼ばれるものです。
独行道の原文は以下のような内容です。
一、世々の道をそむく事なし。
一、身にたのしみをたくまず。
一、よろづに依枯(えこ)の心なし。
一、身をあさく思、世をふかく思ふ。
一、一生の間よくしん(欲心)思はず。
一、我事におゐて後悔をせず。
一、善悪に他をねたむ心なし。
一、いづれの道にも、わかれをかなしまず。
一、自他共にうらみかこつ心なし。
一、れんぼ(恋慕)の道思ひよるこゝろなし。
一、物毎にすき(数奇)このむ事なし。
一、私宅におゐてのぞむ心なし。
一、身ひとつに美食をこのまず。
一、末々代物なる古き道具所持せず。
一、わが身にいたり物いみする事なし。
一、兵具は各(格)別、よ(余)の道具たしなまず。
一、道におゐては、死をいとはず思ふ。
一、老身に財宝所領もちゆる心なし。
一、仏神は貴し、仏神をたのまず。
一、身を捨ても名利はすてず。
一、常に兵法の道をはなれず。出典:五輪書
これだけでは、意味が分かりづらいですから現代語訳を見てみましょう。
- 先祖代々の道に外れることはしない
- 自分の楽しみやトクを優先して考えない
- どんなことにも依存心を持たない
- 自分のことより、世のことを深く思って生きる
- 生涯、欲望にとらわれないように生きる
- 自分のしたことは、後悔しないで生きる
- 善悪を判断するのに、他人を妬む心は挟まない
- 違う道を選んだ人との別れや、心離れを悲しまない
- 自分にも人にも、恨みや責任転嫁の気持ちを持たない
- 恋慕の情に、心とらわれないように生きる
- 物に対して、いちいち好き嫌いをいわない
- 自分の住む家に、あれこれ望まない
- 必要以上に贅沢な食事はいらない
- 代々伝える立派な道具など持たない
- 自分が持っている物を忌み嫌うこともない
- 武具は別だが、他の道具は特にこだわらない
- 武士道においては、死は恐れることではない
- 年老いた身に財産や所領を貯め込もうと思わない
- 神仏は尊敬すべきだが、神仏頼みではいけない
- たとえ死んでも、名誉は捨ててはいけない
- 常に兵法の道を離れず、武士として生きる
現代語訳引用元:https://kanmontime.com/blog/tomita/dokkoudou-miyamotomusashi/
本や訳者によって多少解釈は違ってきますが、五輪書よりも独立道の方がよほど哲学的であり、現代にに生きる上でも非常に考えさせられる言葉が多いです。
宮本武蔵の場合は兵法者としての自分が世の中の全てでしたから、それに必要のないものは一切切り離すという生き方を選んだと言われています。
例えば、3、5、10、などは人間としての欲について語っていますが、何故宮本武蔵はそう思って生きたのか?
ここが最大のポイントです。
恋慕の情とはつまり、人間としての恋や結婚といったものであり、当時は無理やりにでも結婚していた人の方が多かった時代です。
しかし、宮本武蔵はそれらを遠ざけた。
答えは明白であり、兵法者としての人生において、それらが邪魔であったからになりません。
兵法者として人生を全うするために、他の全てを切り離した。これが宮本武蔵という人物像だと考えられます。
さて、唯一と言っても良い宮本武蔵が著作したと言われるこの2つの文章を考えると、宮本武蔵という人物が少しは理解が出来ます。
五輪書の序文では、13歳から決闘を始めてそれから60数回戦い、いずれも負けなかったことが記されていますが、これらはいわゆる青年期(13歳~29歳)の宮本武蔵です。
その後、五輪書や独行道の境地にたどり着くまでには宮本武蔵の言う約30年近い鍛錬があったものとして見られます。(宮本武蔵の享年は62歳とされています)
現在、宮本武蔵が描いたとされる重要文化財指定された絵画などは晩年の武蔵が描いたものだとされており、宮本武蔵の人生において兵法者以外の道を選んだ形跡が全くありません。
小説などには「おつう」という女性が登場しますが、これも後の創作である可能性の方が圧倒的に高いとされており、実際の子にあたる宮本三木之助や宮本伊織も養子です。
宮本武蔵ほどの高名な兵法者であれば、子を残していても不思議ではありません。しかし、宮本武蔵には妻もいなければ実子も存在していないとされます。
これも彼自身の人生がどのようなものであったかを想像させるには充分な材料ではないでしょうか?
宮本武蔵の有名な決闘は基本的に29歳までであり、その間にも人と関わりを避けていた訳ではありません。
むしろ諸国を歩き、二天一流となる前の円明流と呼ばれた流派を指導していたり、いくつかの大きな戦い(大坂の陣や島原の乱など)に参加していたことが史料から明らかになっています。
熊本に呼ばれたのはかなり晩年ですが、自身の人生を振り返った独行道の訓示や兵法書である五輪書、そして子は全て養子であった史実を考えると「宮本武蔵は生涯童貞だった説」が浮かび上がる訳です。
もちろん、真相は分かりません。
しかし、少なくとも女性や欲とはあえて距離を置いたまま亡くなったのが、剣豪 宮本武蔵だったのではないでしょうか?
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