日航機墜落事故をちょっと考えてみると…あれって本当に事故だったのか?

毎年、お盆の季節になるとニュースになる日航機墜落事故…日本航空123便墜落事故をご存知でしょうか。

上を向いて歩こうで世界的に有名な坂本九さんが搭乗していたことでも知られていますよね。

事故後に報道された生々しい現場の写真は今では絶対にありえないことです。

この、日航機墜落事故に関しては、実はただの事故ではないという説があるんです。

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公開日:2019年10月30日 更新日:2020年2月28日

日航機墜落事故は公式には「故障」とされている

日航機墜落事故…日本航空123便墜落事故は、公式にはその原因は修理ミス…つまり事故とされています。

事故の原因は、ボーイング社の圧力隔壁修理ミスで油圧で操作されるすべてのものが一切動かなくなったことで、機体の維持ができなくなり、その結果、山に激突したというもの。

つまり、修理ミス…人為的なミスで墜落したというのです。

ですが、国内でも最悪と言われるこの飛行機事故…実は様々な疑念がある事故なのです。実際にちょっと考え見ると不思議なことがたくさん出てくるのも事実です。

アメリカ軍が日航機墜落事故の墜落場所を見つけていたのに…救難活動を中止した

日航機墜落事故では、墜落してから救援隊が到着するまでの間にかなりの時間がかかっています。

航空自衛隊に災害派遣要請がされたのは、事故から約1時間40分後。そして、航空自衛隊 救難隊のヘリが現場上空に到着したのは20時42分のことでした。事故発生時刻は18時56分ですから、この時点ですでに2時間経過していることになります。

ですが、事故発生の20分後に米軍の輸送機が事故現場近くを飛行し、その現場の位置を航空自衛隊中央救難調整所に通報しているのです。

そして、この位置情報は正しかったんです。

そして、その後20時50分にも米軍のヘリが現場の上空に到達したのですが、帰還命令が出されて救助活動が行われていません。

日航機墜落事故での生存者の証言によると、墜落したすぐ後には多数の生存者がいた」と言われているんです。

もし…もし、最初に米軍からの位置情報の通知があったときにすぐに駆けつけていれば、助かった命があったかもしれないのです。

ですが、実際に救助活動が始まったのは、翌朝8月13日の午前4時30分からでした。この時点で事故から10時間程度経過していることになります。

この救助活動の遅れは今では考えられないことです。なにも太平洋のど真ん中で墜落したわけではありません…場所は御巣鷹山ですから、救助できたはず。

ですが、翌朝まで救助活動がされなかったのには理由があったとも言われているんです(諸説あります)。

参考資料 

運輸安全委員会日本航空(株)所属 ボーイング 747SR-100型 JA8119 群馬県多野郡上野村

日航機墜落事故の事故機は放射性物質を積んでいた?

事故を起こした機体には多量の医療用ラジオアイソトープという放射性同位体が積まれていました。

そして、事故の衝撃での物質が飛散している可能性があったので、救援が遅れたとも言われています。

確かに、これが事実なら救助が遅れたのも仕方ないようにも思えますが…。救助が遅れたのには他の理由があったという説もまことしやかにささやかれているんです。

ですが、この事故での救出が遅れた本当の理由は、放射性物質のせいではないかもしれないんです。

参考資料

『週刊新潮』1988年8月11日・18日「日航機墜落の御巣鷹山 アイソトープ騒動」

幻の日本産OS「TRON」の技術者が事故機に搭乗していた

この時代、アメリカがコンピューターのOSを世界中に広めるために色々な画策をしていました。

マイクロソフト社のWindowsとアップルコンピュータのマッキントッシュを広めて世界中のPCのシェアを取りたかったというわけです。

そこに登場したのが日本の技術者が開発した「TRON」というOSでした。

このOSが実はすっごく優秀なOSで、もし世に出ていれば、Windowsやマッキントッシュを凌駕していたかもしれないほどの完成度を誇っていたといいます。

つまり「TRON」はアメリカにとっては驚異だったんです。

つまり、米軍は「TRON」の技術者が乗った飛行機を狙って墜落させ、「TRON」のプロジェクトそのものを大きく後退させたというわけ。

だから、墜落からわずか20分で場所を特定できた…。

そして、この事故後の1989年にアメリカは不平等条約の「スーパー301条」を強行したのです。

参考資料
1985年の日航ジャンボ機事故の考察 ~国産OS「TRON」技術者の死~

経済、政治、テクノロジーなど豊かな未来のために知っておきたいこと

日航機墜落事故の現場で火炎放射器が使用された?

日航機墜落事故の墜落現場では「ガソリンとタールがまざったような臭い」がしたと言われています。

飛行機に使用されているのはジェット燃料ですから、こんな臭いがするのはちょっと不自然…。そして、あの報道された黒焦げの遺体…ちょっと違和感ありますよね。

実は・・・「TRON」の技術者を乗せた飛行機を墜落させるために”何らかの活動”をした関係者が火炎放射器で生き残った人を焼いたのではないかという説があるんです。

遺体の分析をした結果、ジェット燃料以外の”火力が強いもの”で焼かれた形跡があるとも…。

自衛隊が訓練用非炸薬ミサイルを誤って発射した…なんて説もありますが、自衛隊がそんなことをしていたとしたら、その事実はすぐに明るみに出ることでしょう。

そもそも、自衛隊が自国民が乗った機体を撃墜する理由など微塵もありません。

そんな失態を犯せば、ただじゃなくても批判がある自衛隊ですから、存続そのものが危ぶまれることにもなりかねません。

つまり、理由がないというよりは、やるわけがないと言ったほうがいいかもしれません。

でも、アメリカには理由があった…。

もちろん、すべては謎に包まれていますが、そう考えることもできる”事故”だったのです。

参考資料
『日航123便墜落 遺物は真相を語る』/青山透子・著/河出書房新社
ライブドアニュース 
真実の探求 

まとめ

未だに様々な疑惑がある日航機墜落事故…。あの凄惨な飛行機事故は単なる油圧計のトラブルではないかもしれません。

もちろん、すべてが明るみにでることはないでしょう。

ですが、異常なほどに焼きつくされたあの事故現場が語るものがあるのです。

ちなみに、日航機墜落事故の影響を受けた国産OSの「TRON」はその後、ひっそりと開発が続けられて今でも存在しています。

Miiko

ライター歴約10年 法学系院卒 得意記事は、歴史・スピリチュアル・法律等々 福岡の隅っこでコーヒー片手に執筆中