日本に極左のテロ組織があったことをご存じでしょうか?
日本赤軍と呼ばれるテロ組織が過去に起こしてた事件とそもそも日本赤軍ってなんだったのかを見ていきましょう。
日本赤軍とは、1960年代の学生運動から広がったもので、その中でも過激派のことを指しています。日本赤軍のメンバーは数々の事件を引き起こし、今でも指名手配されている人もいます。
もう過去のことのように思えますが、まだ逮捕されていない人がいるのですから、事件はまだ終わっていないのです。
公安調査庁によると日本赤軍の結成は1972年(昭和47年)5月30日で、勢力は20~30人とされています。
そして、活動目的は
・ マルクス・レーニン主義に基づいた共産主義社会の建設
・ 世界革命の一環としての日本革命を目指し,情勢の変化に応じた戦略論を展開
攻撃対象は
天皇・皇族,政府要人・高級官僚,独占資本家及び自衛隊・警察・裁判所などの我が国の国家機構並びに米国,欧州諸国の在外公館・施設など
引用:公安調査庁
とされています。つまり、極左の集団で、テロ組織というわけです。簡単にいうと、ヤバイ集団です。
日本赤軍の最高幹部の女性重信房子は2000年に逮捕されており懲役20年が確定しています。
とにかくヤバイ集団というわけですが、数々の事件を引き起こしてきました。
日本赤軍が起こした事件を見てみると「テロ組織」だと言われてもしたかないなぁと思ってしまうものばかりです。
公安調査庁HPより
空港で自動小銃を乱射したり、ハイジャックしたり、大使館に爆発物を仕掛けたりとかなり危険な事件を起こしています。中でも有名なのがハイジャックをしたダッカ事件ではないでしょうか。「超法規的措置」「一人の生命は地球より重い」というパワーワードが生まれたのもみのダッカ事件でした。
ダッカ事件とは、1977年9月28日に日本赤軍のメンバーが日本航空472便をハイジャックした事件です。
犯行メンバーは航路を変更させてバングラデシュのダッカに強制着陸させたあとで、身代金として600万ドル(当時のレートで約16億)と日本で逮捕されてたり服役しているメンバーの釈放を要求しました。そして、拒否すると人質殺すと宣言していました。
日本赤軍は過激派で、本当に人質を殺しかねない犯人でした。また、ジェット燃料を節約するためにエンジンを停止させたことで一時、客室内の温度が上昇して熱中症になる人質もいたそうで、解決が急がれていました。
そこで当時の総理大臣だった福田赳夫氏が「一人の生命は地球より重い」として、身代金の支払いと釈放という条件をのんだのです。これが超法規的措置・・・。今では考えられないことですが、逮捕されていたメンバーの身柄は犯行グループに引き渡されました。
そして、犯行グループはアルジェリアへと逃げて行方をくらませました。
参考資料:ダッカハイジャック事件の犯人とその後!実行犯や釈放された人物の現在を調査
日本赤軍が起こしたハイジャック事件の中で、ダッカ事件と並んで有名なのがよど号ハイジャック事件です。
日本で初めて起こったハイジャック事件で、犯行グループは北朝鮮への亡命を要求しました。そして、このとき、山村新治郎運輸政務次官が人質の代わりになって犯行グループと一緒に北朝鮮の美林飛行場に向かいその後、帰国しました。
北朝鮮に亡命・・・ちょっと言っていることがよく解らないと思うかもしれませんが、彼らは北朝鮮のような思想が理想で、亡命して北朝鮮に行くことを望んだということです。
そして北朝鮮は、この犯行グループの亡命を受け入れて日本を非難しつつも機体と乗員は返還されました。うち3名は北朝鮮でその後死亡し、2名は日本に帰国したあと有罪判決を受けています。
日本赤軍は世界中で凶悪な事件を起こした日本の極左テロ組織です。
今も逮捕されていないメンバーがおり、まだ終わっていない事件もあります。よど号ハイジャック事件やダッカ事件はその中でも特に有名な事件です。