縁切り寺、縁切り神社と呼ばれる寺社仏閣は全国各地に多く存在する。
近頃嫌なこと続きで悪運を断ち切りたい……といった願いから「あの人とあの人を別れさせたい!」といった願いまで、縁切りスポットは数多くの人々の「縁を切りたい」という願いを受け入れ続けてきた。
そんな縁切りスポットの中でも随一と呼ばれる神社が京都にある。
今回は「一度願えば本人の意志に関わらず強制的に縁が切られる」と話題の安井金比羅宮をご紹介しよう。
公開日:2019年11月3日 更新日:2020年3月8日
現代社会を生きる人間なら、誰しも「あの人やこの場所と縁を切りたい」と願ったことがあるだろう。我々を取り巻くコミュニティは複雑で、一度深く足を突っ込んでしまうと抜け出すのはなかなか難しい。
だが、誰かと、あるいは何かと縁を切ることを望んでいたのは現代人だけではないようだ。
今回ご紹介する京都・安井金比羅宮の起こりはなんと飛鳥時代。
安井金比羅宮のはじまりの地は別の場所にあったのだが、藤原鎌足が一族の繁栄を願って藤を植え、そこを「藤寺」と称したことに端を発するという。
それを聞いて「おや?」と思った方もいるのではないだろうか。
そう、安井金比羅宮は元々は一族の繁栄を願って建立された神社。縁切りのご利益がある、とされるようになったのは江戸時代以降の話なのだ。
時代は1156年、平安時代後期に遡る。当時の上皇である崇徳院は、側近である阿波内侍という女官を寵愛し、この「藤寺」を改修して住まわせていた。
ところが同年に起こった保元の乱で、崇徳院は崩御してしまう。悲しんだ阿波内侍は、崇徳院自筆の自画像を藤寺内の観音堂に祀った。
時は経ち1177年。大円法師という法師がこの寺に籠もって修行を行った際、彼の目の前に崇徳院が姿を現した。これを聞いた当時の法皇、後白河法皇の命により、この場所に「光明院観勝寺」という名の寺が建立された。
現在「●●宮」という名を冠している寺社は、天皇や上皇などの皇族を主祭神としていることが多い。
安井金比羅宮が現在の名称になったのは明治維新より後のことだが、「宮」という名がつけられたのは、やはり主祭神が崇徳院だからだろう。
さて、崇徳院の登場により光明院観勝寺となった旧・藤寺だが、その後、応仁の乱で荒廃し、場所を移して再建されることになる。
この際に、元から祀られていた崇徳院に加えて源頼政と讃岐・金比羅宮の大物主神(おおものぬしのかみ)という神様が祀られるようになった。そのため人々から「安井の金比羅さん」と呼ばれるようになり、明治時代以降の改名で「安井金比羅宮」と名付けられたのである。
しかし、源頼政はともかく、一体なぜ讃岐の金比羅で祀られていた大物主神が祀られるようになったのだろうか。
実は、崇徳院は生前、讃岐の金比羅宮にて一切の欲を断って籠もり、一心に祈る参籠と呼ばれる祈願を行っていた。安井金比羅宮が金比羅宮で祀られていた大物主神を祀るようになったのは、崇徳院と縁の深い神様だったからだろう。
そして、崇徳天皇が一切の欲を「断ち」籠もったことから、安井金比羅宮もまた、断ち物にご利益があるとされるようになったのだ。
崇徳天皇自身、戦乱の世の中で愛するひとである阿波内侍と引き裂かれ、そのまま死別するに至った。そのため、あとの世に残された人々が同じような思いをして悲しまないよう、悪運を断ち、良縁を結んでくれるのだという。
境内にある縁切り・縁結びの碑は、縁切りであれば正面から後ろへ、縁結びであれば後ろから前へと穴をくぐり抜けた後、願いを書いた紙を貼り付けることで、その願いを成就させてくれる。
穴を潜って願いを書いた紙を貼り付けるだけなんて大変お手軽だが、その効果は凄まじい。
何より気をつけなければいけないのが、「願ったことが、願った通り成就するとは限らない」ということだ。これは何も安井金比羅宮に限った話ではなく、多くの「神頼み」やおまじないに共通して言えることなのだが、ご利益が大きければ大きいほどリスクもまた増加していく。
一体どういうことだろうか。少し詳しく説明しよう。
たとえば「今付き合っている相手との縁を切りたい」と願ったとしよう。最も平和なのは、その相手が自分に興味を失って、自然と離れていってくれることだろう。あるいは出張などで物理的な距離が生じ、その間にトラブルやお互いの感情が沈静化するパターンも考えられるかもしれない。
だが、単純に「縁さえ切れれば良い」のなら、他にも様々な解決法が存在する。
事故や病気、etc…極端な話、縁を切りたい相手か自分、どちらかが死んでしまえば、それでも縁が切れたことには変わりないのだ。
実際、安井金比羅宮で「現在の職場と縁を切りたい」と願った数ヶ月後に重病が見つかって退職せざるを得なくなった……
という話や、ストーカー被害に耐えきれず縁切りを願ったところ、相手が事故に遭って重体になった、といった例も報告されている。
もちろん全ての縁切りが悪い方向へ行くとは限らないが、誰かと、あるいは何かと「縁を切る」ことを真剣に望むのなら、ある程度のリスクを覚悟した上で慎重に祈願しなければならないだろう。
とはいえ、いかに切りたい縁があるといっても、そのために不幸になりたいという人はいないはずだ。そこで、最後に安井金比羅宮を始めとする「縁切り」にご利益がある神社仏閣で祈願を行う際、どのように願いをかければよいか、2つのポイントを紹介する。
何より大切なのは「誰と・何と」「どういう風に」縁を切りたいかを明確にすることだ。
嫌いな相手と縁を切りたいのなら、単にその相手が目の前からいなくなりますように、と願うのではなく「円満に距離を置けますように」「相手が興味を失ってくれますように」といったように「なぜ縁が切れるのか」まで明確に提示しよう。
今現在、あなたが誰かに悩まされているのなら、その相手に不幸が訪れればいいのにと考えてしまうこともあるだろう。だが「人を呪わば穴二つ」という言葉があるように、他人の不幸を望めば、それは必ず自身にも跳ね返ってくる。縁切りスポットで断ち切ってもらうべきはあくまで「悪縁」。
相手自身の不幸を願ったり、呪詛を吐くようなことはしてはいけない。
罪を憎んで人を憎まずというが、人と人との縁もまさしくその通り。
あなたを悩ませている誰かが、別の誰かにとっては幸せのキーパーソンだった、ということもあるのだ。あくまで自分と相手の相性が悪かっただけだと考えて、繋がりを断ち切ることに集中しよう。
「最強の縁切りスポット」「願いが望む形で叶うとは限らない」と聞いて、少し腰が引けてしまった人もいるかもしれない。だが、上記で紹介したポイントは、何も安井金比羅宮だけに限った話ではないのだ。人の道理は神には通じないものだし、よこしまな気持ちを抱いて神掛をすれば、いつかはツケを払うことになる。
自分の願いを明確にし、真摯な気持ちでお参りをすれば大丈夫。
また、今回は「縁切り」にスポットを当てて紹介したが、安井金比羅宮は縁結びにも大きなご利益のある場所だ。今あなたに「人と人との縁」で叶えたい何かがあるのなら、是非一度参拝してみてほしい。
もちろん、その際は上述のポイントを押さえるのを忘れずに。