みなさんは、お正月やお盆、結婚式などでおじさんやおばさんと会う機会がありますか?
おじさんやおばさん、いとこは大切な親戚。
いろいろと面倒ないざこざもあるかもしれませんが、それでも、何かとかかわりを持つことが多い人たちですよね。
今では、おじさんやおばさんを生まれてきた順番で区別する…そんなことはほとんどないでしょう。
ですが、ほんの少し前まで、日本には生まれてきた順番だけでそのあとの人生が決まってしまう風習があったんです。
それが「おじろく・おばさ」です。
公開日:2019年9月15日 更新日:2020年1月13日
おじろく・おばさが風習として残っていたのは、現在の長野県。
山あいの自然に恵まれた小さな集落のひとつ「神原村」というところ(現在の下伊那郡天龍村神原)でした。
日本の国土の約7割が山林…つまり、山で隔離された集落などでは独特の文化が根付きやすかったのです。
当然、今のような通信システムはありませんし、道路も整備されていない…車やバイクも今みたいにはたくさん走っていません。
そんな環境の中で生まれ、20世紀まで残っていた習慣がおじろく・おばさなのです。
長野県神原村は、まさに外の世界と隔離された孤立した集落でした。
自然は豊かなのですが、周り山に囲まれていて耕作面積が少なく、決して生活は楽ではありませんでした。
つまり、たくさん子供が生まれても食べさせていく余裕がこの村にはなかったという訳です。
ですが、子供は生まれてきます…そこで、大切な跡取りである長男だけを大切にしよう!
そんな恐ろしい文化が生まれてしまったのです。
閉鎖的で貧しい村で「長男だけ」を大切にする発想から生まれたおじろく・おばさ…。
この習慣の元では、長男以外は力でしかなくただ奴隷のように働かされて一生を終えていました。
まず、おじろく・おばさには戸籍がありません。
戸籍には、「厄介」と記載されるだけで、結婚も原則禁止されていました。
大切な労働力ですから、養子に出ることでもない限り結婚することが許されていなかったんです。
おじろく・おばさには人権などありません。
家の中での地位は、家長…つまり自分の兄の子供や妻よりも下でした。今でいえば、長男のお嫁さんや甥っ子姪っ子より、おじさんやおばさんの地位が低いということです。
そして、自分の兄の子供である甥っ子や姪っ子からも奴隷として扱われます。
自分の兄や兄嫁、甥っ子から奴隷として扱われる…どんな気持ちだったでしょうか。おじろく・おばさは祭りなどの村のイベントにも参加できません。
他所の家の人との関りが極端に少ないので、おじろく・おばさは一生、男女交際をすることがない人も多かったのです。
夢、希望、趣味や恋、娯楽の一切を生まれたときからすべて奪われて、田畑や山でただ働き続ける…すべては家長のために…。寝室は母屋とは別の掘っ立て小屋で衣食住は最低限のものだけ、よく働くおじろくは時に、他所の家に婿養子に、おばさは時に嫁に出されることがあったといいます。とはいっても当人の自由意思ではありません。。もうこうなると、人身売買に近いものもあったことでしょう。
今の日本ではとうてい考えられないことですが、これが現実だったのです。
明治の時点ではなんと190人のおじろく・おばさが、そして昭和40年代に入っても3人のおじろく・おばさが残っていたのです。
長男でなかったというだけで、奴隷になってしまうおじろく・おばさですが、生まれたときから奴隷として扱われて働くことを当然としていたら…人ってどうなると思いますか?
普通なら「ふざけんな!」と不平を持ったり、逃げ出したりしたくなりそうですが、おじろく・おばさとして働きつづけた人のほとんどが「逃げることも」せず、「不満を持つこと」もしなかったそうなんです。
でもそれは、おじろく・おばさとしての待遇が実はそう悪くなかったから…ということではなく、閉鎖的な社会が生んだ教育の恐ろしさなのです。
おじろく・おばさは「話しかけても返事をしない」「無愛想」「コミュニケーションを取ろうとしない」だったのです。
そして、親も、長男以外はおじろく・おばさとして育ってるのが普通だったので成長していく過程で長男以外の子供が働かされて奴隷のように扱われていてもなんとも思わなかった…。
こういう環境に子供のころからいると、それが当たり前になってしまって不満を持つという選択肢すら与えられないまま一生を終えてしまうのです。
過疎の閉鎖された村で育ったこと、そして、その場所で教育を受けたことで価値感が固定されてしまって「これが当たり前」と思うようになってしまったのですね。
だから、結婚できなくてもずっと働かされても不満がなかった…。
つまり、奴隷として扱われ続けることで心が壊れてしまって無気力で無関心に…ただ与えられた仕事をこなすロボットになってしまったのでしょう。
実際、おじろく・おばさはコミュニケーションをとろうとする人が少なく、無表情で挨拶もせず、趣味もなく、ただただ働くだけだったといわれています。
実際に、おじろく・おばさの調査をした人が何を話しても返事をしてくれないので、催眠鎮静剤を使用してみたところ表情が改善された…とか。
20世紀まで日本に残ってたおじろく・おばさ…彼らがもし、今の時代に生まれていたら…学校に通って勉強をして、恋をして楽しく過ごすことができたのかもしれません。
今回紹介したのは「おじろく・おばさ」と呼ばれた日本の闇とも呼べる悪習の1つでした。
こういった閉鎖された空間で風習として根付いたものはなかなか表に出る機会が少ないものです。
あの有名な昭和史上もっとも恐ろしい「津山三十人殺し」事件も、村八分が原因だったのではないかと言われています。
「現代の日本ではそんな風習はないだろう」、と考えがちですが、未だに人権問題の全てが解決された訳ではありません。
恐ろしい風習、、、、日本にはまだまだ深い闇が残っているのです…。
オカルトオンラインでは、他にも地方の怖い風習について紹介しています。東北では、飢饉のときに子殺しや人肉食を行っていました。
コチラでくわしく紹介していますので、ぜひご覧ください。