現代では日本に王様という概念がないため最高権力者に近い方はいますが、王様と言える人は存在していません。
しかし過去には日本でも王様といえる人が存在しておりその初代が邪馬台国を収めていた「卑弥呼」と言われています。
学校でも習った方は多くファッションブランドの名前でも使用されているので知らない方はいないといっても過言ではありません。
ですが卑弥呼は三国志の一部である魏志倭人伝という文献に登場する人物であり、魏志倭人伝には邪馬台国も登場するのですが現代に至るまで存在した証拠が見つかっていないので実在したか怪しい部分があります。
ではなぜここまで卑弥呼の名前が浸透しているのでしょうか?
本記事では実在したかどうか、なぜビッグネームとなったかなどを紹介します。
当時の日本は倭国と言われており現在のような1つの国ではなく、30の国々で形成されていたとされています。
長らく倭国は男性の王が統べていましたが大きな内乱が起こり倭国は危険な状態に。
危険と感じた倭国は邪馬台国の王である卑弥呼を倭国の王としました。
しかし卑弥呼自身は政治など国全体に関わる業務は行なっておらず、弟が政治関係などの全てを行なっていたとされています。
そして卑弥呼自身は「鬼道」と呼ばれる占いの一種を用い、予言をするなどをしていましたが人前に姿を見せることはなく近づくことが許されたのは食事を運ばせていた男1人のみです。
まずは卑弥呼の謎について紹介していきます。
詳しく書き連ねられている文献がないため卑弥呼という存在自体に懐疑的な方は多くいらっしゃいます。
実際、卑弥呼や邪馬台国について書かれている魏志倭人伝でも詳しい場所、どのような出生だったかは書かれていないため簡単にいうとただ存在していたということしか言えません。
また卑弥呼が死亡した時に魏志倭人伝では大きな墓を作り埋葬したとありますが、墓も現在にいたるまで発見はされていません。
卑弥呼の死亡後は「台与」という卑弥呼の娘が継いだことになっていますが、こちらも詳しい文献はなくいつ死去したかもわからないため台与も同じく存在が怪しまれている人物となります。
また台与は卑弥呼と同一人物という説や、伊勢神宮の内宮の一人であるなどの全く別の人物であるという説もありますがどれも立証できる証拠がないため断言はできません。
存在しない方向で間違いないのかなと思います。
驚くべきことに卑弥呼という名前は日本の歴史的文献などには全く出てきてはいません。
というのも三国志が書かれてから日本最古の書物である古事記が書かれたのは約400年後。
何も記述がないことも納得がいきます。
しかし伝説とはおひれがつきながらも語り継がれていくもの。
日本をまとめるという大業を成し遂げているのに全く名前が出てこないのはいささか納得がいきません。
しかし神功皇后には卑弥呼が同様の人物であるような記述がありますので完全に触れていないわけではありません。
ですが卑弥呼、邪馬台国という名前は出てきませんのでやはり謎が残ります。
以上の点を踏まえると卑弥呼であると断言はできませんが、神功皇后と似たニュアンスがあるため卑弥呼=神功皇后という説があります。
しかし生涯独身であった卑弥呼に対し神功皇后は伴侶であったとされていますので、明らかに違う部分が多くあります。
卑弥呼という存在を消すために意図的に作られたとも考えられますが魏志倭人伝とは異なるため断言ができません。
太陽の神である天照大神ですが、卑弥呼と同一人物ではないかという説です。
卑弥呼の正体は当時の日本が書の風習がなかった、意図的に偽装されているかもしれないなどの理由から断言できない状態にあります。
しかし魏志倭人伝に明確に名前が載っているのに存在を否定するわけにはいきません。
ですが邪馬台国の場所すら分かっていない現状に存在を立証する術はありませんので、魏が送ったとされる金印が見つかるなどに期待を寄せておきましょう。
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