九州大学生体解剖事件は、日本が第二次世界大戦…大東亜戦争を戦っていた1945年に福岡市にある九州帝国大学(今の九州大学)医学部で行われた人体実験です。
物的な証拠がほとんどなく証言がほとんどのこの事件は、日本で起こったグロテスクな事件のひとつとして有名です。
[amazonjs asin=”B000J7M5L6″ locale=”JP” title=”生体解剖―九州大学医学部事件 (1982年) (中公文庫)”]画像:Pixabay
生体解剖とは、解剖される側…つまり被験者が生きている状態で行われる解剖のことです。九州大学生体解剖事件でも、生きたままのアメリカ軍捕虜が解剖の対象となりました。
解剖の対象となつたアメリカ軍は1945年5月に福岡市などを空爆するために飛来していたB29の搭乗員で、日本軍によって熊本と大分の県境で撃墜され捕虜となりました。
撃墜された機からは9名の生存者がいましたが、そのうち機長のみが東京に移送され残りの8名については、生体解剖の実験台にすることが決定し九州帝国大学へと移送されました。
このとき、捕虜の8名は移送先が病院だったので「健康診断をしてもらえる」と思い込んでお礼を言ったそうです。
ですが行われたのは生体解剖…つまり被験者の生存を一切考えずに行われた実験でした。これは銃殺の代わりに行われたとも言われています。
対象になったのは
引用:Wikipedia
で、全員が命を落としています。
生体実験は全部で4回、8人の命が失われることなりました。今のような検査の機械も技術もなかった時代ですから、医師にとって生体実験は自身の倫理観と好奇心や探求心の葛藤の中にあったものという側面もあったのでしょう。
移転前の福岡市の九州大学のキャンパスでは、学生の間で「医学部にはお化けが出る」なんて言われていたこともあったのですが、生きたまま解剖された捕虜の恨みがまだ残っているのかもしれません。
画像:Pixabay
九州大学生体解剖事件では
引用:Wikipedia
これはすべて生きたまま行われました。つまり、健康診断をしてして貰えると思っていた捕虜は実験に供されたのです。医学界の権威であった医師を中心としたチームによって”手術”が行われ、その目的は達成されました。一部の医師は、生体実験であることを事前に知らされていなかったものもいたそうです。
人工血液の実験は、血液が不足していた当時の日本において重要なものでした。人工的に血液を作れれば医療分野、ひいては軍事面でも重要課題でした。
ちなみに人工血液は今でも作られていません。血液を人工的に作りだすことは現時点でも不可能なのです。当然ですが、人工血液などはありません。そこで、人工血液の実験に使用されたのは薄めた海水でした。この海水を人体に注入するという実験が生きた人間に行われたのです。海水が人工血液り代わりになるわけもなく、捕虜は死亡します。
この実験に立ち会った看護師は次のように証言をしています。
ちなみに捕虜の腕に海水が500ccほど注入されました。この時捕虜はまだ生きていましたが10分ほどして捕虜は死にました。
GHQ取調官:その手術は必要だったのですか?
この手術はどれだけ出血すれば人間が死ぬかを見るためのものだったので必要なかったと思います。
— 筒井シズ子看護婦長
引用:Wikipedia
参考資料:熊野以素『九州大学生体解剖事件:七〇年目の真実』岩波書店
[char no=”4″ char=”Miiko”]日本にとってアメリカは敵国だったけど、これはひどい話[/char] [char no=”2″ char=”すぱもん”]そうだね。何も知らずに立ち会った医師も気の毒だよね[/char] [char no=”4″ char=”Miiko”]このあと終戦を迎えて、企画者のひとりの石山福二郎教授は獄中で自殺。関係者はその後の恩赦で釈放されています。[/char] [char no=”2″ char=”すぱもん”]人肉食事件もこの実験の中での話だったんだよね[/char] [char no=”4″ char=”Miiko”]そう、その話は次の記事で^^[/char]
生きたままの捕虜の肺を切り取ったり、血液を抜いて海水を注入したり…。
医師にとって魅惑の実験だったのかもしれません。この事件の取り調べで明らかになった「人肉食事件」については、また別の記事で触れていきます。
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