邦楽のレジェンドといっても過言ではない、中島みゆき。
彼女の歌を1曲も知らないという人は日本にはほとんどいないのではないでしょうか。
特に彼女の書く歌詞は重く深く、ファンの間でも様々な解釈があります。
今回は名盤と名高いアルバム「臨月」から「友情」という曲について歌詞を考察していきます。
歌詞を見る前に、彼女の人となりを軽く知っておきましょう。
中島みゆきは父が医者、祖父は市議会議員とかなりエリートの家系に生まれます。
大学時代に音楽活動を始めた彼女は、1975年「アザミ嬢のララバイ」でデビューします。
その後、世界歌謡祭で名曲「時代」を披露しグランプリを受賞、「わかれうた」「かもめはかもめ」など、名曲を量産します。
工藤静香をはじめ、TOKIOやももいろクローバーZ、中島美嘉など様々なアーティストへの楽曲提供でも有名です。
中島みゆきが1981年にリリースしたのが「臨月」というアルバム。
前作「生きてもいいですか」では暗く重い曲ばかりだったのが、この作品では一転して軽く明るい曲調が多くなりました。
その年の年間ヒットチャートでは第7位にランクインしており、レコード大賞のベスト10にも選出されています。
全体的に明るい曲調で歌われている「臨月」ですが、その中の「友情」は暗く重い曲で、アルバムの中でも異彩を放っています。
歌詞の一つ一つのフレーズは重く深く、様々な意味を内包しているように思えます。
この曲は名前のとおり、「友情」について歌っています。
悲しみばかり見えるから この目をつぶすナイフがほしい そしたら闇の中から
明日が見えるだろうか 限り知れない痛みの中で 友情だけが見えるだろうか
(「友情」作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき)
いきなり物騒な歌詞ですが…
この目に見えている世界が全てだと誰しもが思うでしょう。
しかし、「友情」なんてものは上っ面に見えているものではありません。
もし、眼球をナイフでつぶしたら、そこには計り知れない痛みと闇、そしてその闇の中から「友情」は見えるのでしょうか?
この世見据えて笑うほど 冷たい悟りもまだ持てず
この世望んで走るほど 心の荷物は軽くない
救われない魂は 傷ついた自分のことじゃなく
救われない魂は 傷つけ返そうとしている自分だ
(「友情」作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき)
「友情を失った」と語った彼女は、この世を俯瞰して「こんなものか」と笑うこともできません。
かといって、「友情」というものに希望を持って走ることもできない。
そんな中途半端な心境を歌っています。
自分を裏切った友に復讐でもしてやろうと思っているのでしょう。
「救われない魂」は裏切った友ではなく、そんな醜い感情を持った自分だといっています。
かなりネガティブな歌詞ですが、この部分は考えさせられました。
もし友に裏切られ傷ついたとき、「仕返ししてやろう」という負の感情を持たない人は多くはないでしょう。
この曲の中で「友情」とは、どこか打算的な側面があるのではないかと考えさせられます。
自由に歩いてゆくのなら ひとりがいい
そのくせ今夜も ひとの戸口で眠る
頼れるものは どこにある
頼られるのが嫌いな 獣たち
背中にかくした ナイフの意味を
問わないことが友情だろうか
(「友情」作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき)
この部分は特にこの曲の中核、そして最も考えるべきフレーズ。
自由に生きるならひとりの方が良いのに、なぜ人は誰かと一緒にいることを選択するのでしょう。
頼れるものを探すくせに、頼られるのはうっとうしく感じてしまう。
そんな心情を「獣」と乱暴な言葉で表現しているのも心境が荒れている証拠だと思います。
そして「背中にかくしたナイフ」という表現。
ナイフとは獣を狩る道具。または自衛のための武器。
「利益がない」と見るや友情を見限ってくる友。その裏切りはまさにナイフで切られたような痛み。
友が背中にナイフを隠し持っていることを知っていながら、その意味を問うてはいけない。
互いの利害関係で友を作り、その醜いエゴイズムは見てみぬふりする。それを「友情」と呼んでよいのでしょうか。
これを読んでいるあなたにも「友達」と呼べる存在が何人かいるでしょう。
この曲が歌われた時代からさらに人と人とのつながりは希薄になりました。
「フォローしてくれたからフォローを返す」「いいねしてくれたからいいねする」
こんな関係の人たくさんいませんか?
中には「利害関係なんてない」と自信を持っていえる友達を持っているかもしれません。
その人が背中に隠し持っているナイフを見てみぬふりしていませんか?
自分は背中にナイフを隠し持っていませんか?
この曲を聴いて、心当たりがある人もいるのではないでしょう。
疑心暗鬼になりすぎるのも良くないですが、今一度考えてみる必要があるかもしれません。