今回紹介する事件は「庄山仁くん失踪事件」です。
この事件では不気味の手紙や不可解な点が数多く残されているのです。
今回の記事ではそんな「庄山仁くん失踪事件」について詳しく解説していきたいと思います。
1969年2月23日、庄山仁くん(当時14歳)は午後2時過ぎ「ちょっと町へ行く」と親に告げ、工作の道具を広げたまま制服制帽姿で自宅を出ます。
午後6時半ごろ、仁くんの制帽を手にした謎の男(当時24歳)が訪ねてきます。
すると家族に向かって「制帽の持ち主に現金を奪われた」と話します。
翌日の昼頃、父親宛に何者かに無理やり書かされたと思われる仁くんの直筆の手紙が届きます。
その手紙の内容は強盗事件を詫びるような文章で、この手紙を最後に連絡が途絶えてしまったのです。
前略
心配かけてすみません。
悪い友達に誘われて、人のお金をとりました。
中には四十万以上も入っていましたが、僕はすこししかもらっていません。
学校の方は、僕の気持ちがおさまるまで、病欠にしていてください。
すぐに帰っておわびいたします。
どうか探さないでください。
仁
午後3時半ごろ、市内の道路の側溝に車輪を落としたバイクを2人の少年が引き上げようとしていたそうです。
その男は手伝おうとジャンパーを脱ぎ、道路わきに置きました。
すると少年の1人がジャンパーを奪って逃げ、もう1人も続いたそうです。
盗まれたジャンパー内には46万円が入っており、遅れた1人を追いかけ、ズボンのポケットにはさみこんだ制帽をとったが、結果的に2人とも逃がしてしまった。
そして、制帽には名前が書いてありこの名前をたどりこの場所へ訪ねてきた。
という言い分でした。
制帽は確かに庄山仁くんのものであったそうです。
翌日の手紙のことも考えると何かが起こっていることは確実であると言えますね。
しかし、この事件にはいくつもの疑問点が残されているのです。
この男の持っていた46万と言う大金の出所が不明なのです。
男は約4か月前に少年刑務所を出所しクリーニング店で働いていたそうです。
そんな彼に、この大金は不似合いではないでしょか?
男によるとこの大金は自宅の床下に埋めておいたと証言したそうです。
白昼の昼間に事件の目撃者がいないわけがありません。
しかも、日曜日に銀行に行くものも不自然だし、少年たちがなぜジャンパーに大金が入っていることに気づいたのでしょうか?
それに加えて現場検証を行った結果、バイクが側溝に落ち込んだ形跡はなかったそうです。
手紙の前略という言葉は仁くんはまず使わない。
自分の名前を書き間違えたことも不可解であり、強制的に欠かされた疑いが出ているのです。
警察は誘拐殺人を視野に入れて事件の翌日からは大規模な山狩りを始めます。
次の日には仁くんの公開捜査へ踏み切り、男を厳重に調べ、うそ発見器にもかけました。
しかし、この男からは「クロ」という確実な証拠が出てこなかったのです。
この男が何の目的で仕込んだ方不明だが、この手の事件を一人で仕組むことはかなり困難だと推測されました。
警察は何度も洗い直しに着手したが、関係者の記憶から薄れていき、解決されずにを終わってしまったのです。
いかがだったでしょうか?
これが「庄山仁くん失踪事件」です。
この事件を最初から読んで考えてみると、不可解な点が多すぎますよね。
中学2年生の男児がなぜ、46万円と言う大金を必要としていたのでしょうか?
また、当時の46万円というのは現在にして100万円前後になります。
中学生の子供にこんな大金は必要ありませんよね。
このような疑問点が数多く残されていることから、多くの人に不気味がられている事件の一つなのです。