画像引用元:https://www.iseshima-kanko.jp/spot/1539/
今回は初詣に関する記事と言うことで、三重県 答志島 九鬼嘉隆の首塚を取り扱いたいと思います。
私は写真を撮ると何故か色々写り混んでしまう体質です。
ですので、今回は、実体験を元に、実際に大学の時に年末年始で行ったとのことを記事にしたいと思います。
この記事で伝えたいことは二つ。
ひとつは、面白半分でこういう場所でふざけないこと。
もうひとつは、こういう場所で写真等は撮らないことです。
是非とも、この記事を読んでいる方、読んだ方には伝わってくださるとありがたいと思います。
今回の話の本題の場所となる九鬼嘉隆の首塚について。
九鬼嘉隆は戦国時代の武将で、織田信長の配下の海賊大名です。
伊勢志摩地方や鳥羽を根城としていて、海賊のボスみたいな人でした。
何故、三重県の答志島に九鬼嘉隆の首塚があるかと言うと、皆様ご存知の「関ヶ原の戦い」で、西軍に着いたためです。
西軍についたため、戦に破れてしまい、この答志島で自刃し、埋葬されることになったのです。
この記事はオカルトオンラインですので、ほとんど、歴史ネタは省いておりますが、このとき、東軍側として嘉隆に対峙したのが、実子である守隆です。
この辺りのことはもし、今後の記事で扱うことがありましたら、深く掘り下げようと思います。
本題に入ります。
あれは、私が大学一年の時のことです。東京の大学に行った友人と、京都の大学に行った友人から「年末年始でどこかに旅行に行こう」と旅行のお誘いを受けました。
私はそのころバイトをしておらず、特定の相手もいなかった為、予定もなかったので、「どうせ家にいても寝正月だし、行こうかな」と思い、行くことにしました。
二人は小学校からの友人で気心も知れていたのですが、ひとつだけ気掛かりなことが…。
京都の大学に行った友人は、いわゆる大親友の類いの友人でした。
私が写り込んでしまう体質なのを知っているし、実際に何度もその手の写真を目にしている(一緒に撮った写真にも何回も写り込んでいた)為、私が写真を嫌がっても理解をしてくれていました。
しかし、東京の大学に行った友人は、友人のグループの一人で、私が写り込んでしまう体質なのを伝えても信じていませんでした。
日頃から、「どうせ怖がらせようとしてるだけでしょ」とか「写ったら写ったで楽しいじゃん」と言って信じてくれませんでした。
しかし、後になって思えば、東京の大学に行った友人の反応も、当然かなと思います。
大の大人が「幽霊が~」とか「心霊写真が~」とか言っても白い目で見られるのが普通ですから。
でも、この時の旅行を期に信じてくれるようになりました
実際に、大人になって、社会に出ると、嫌でも写真に写らないといけない機会ってあるじゃないですか。集合写真とか会社のイベント行事とか。
今の職場でも、私が写り込む体質だと言うと、ほとんどの人は冷ややかな目で見てきます。全く信じている人など皆無。
でも、本社の総務の方だけは信じてくれているんですよ。だって入社して3年でデジカメ3台壊してるんですもん。私の写真に何かが写り込んだ後に。
使い捨てカメラでも、デジカメでも写り込む私ですので、とにかく当時から写真は避けていました。
二人にも旅行に行く条件として「私の写真は絶対撮らないこと」と「特にお寺や神社の類いでは絶対に撮らないこと」をお願いしました。
その後、場所を相談することになり、とにかくみんなお金もなかったので、安くてゆっくりできるところ、海が見えるとこと言うことで、三重県 答志島に決まりました。
年末年始となり、二人とも実家に帰ってきたので、一度、旅行の前にみんなでお茶をすることになりました。
そう言えば、私は、地元の大学に進んでいるため、地元愛知県に残りです。
近くのチェーン店の「愛知と言えばこのコーヒー喫茶店!」、と言える喫茶店でお茶をしながら旅行の予定をたてていると、東京の大学に行った友人が「凄い、答志島って首塚なんてあるんだ」と言ってテンションが上がっていました。
なにを隠そう、彼女は今で言う歴女で、一人で島内散策のルートをちゃっちゃと決めていきました。
私と京都の大学に行った友人は、特に希望もなかったため、お任せルートで回ることになりました。
思えば、この時のテンションや、話の流れも何かが導いていたのかなぁと思います。
200x年 12月31日
朝一番に知多半島を出て名古屋まで行き、そこから近鉄で鳥羽まで。
途中の景色を楽しみながら3人で「彼氏できた?」などと、可愛らしい女子トーク全快で向かいました。(実際のトーク内容は生々しいため割愛させていただきます)
鳥羽からフェリーで答志島へと向かいました。
その船の中で東京の大学に行った友人が(以外東京ちゃん)「櫛稲田ちゃんがほんとに心霊写真が撮れるか首塚で写真撮ってみようよ」とか言い出したので京都の大学に行った友人(以外京都ちゃん)と大慌て。
さすがにこのときは京都ちゃんも「絶対にやめた方がいい。あとで後悔するし、何が起きても知らないからね」と不機嫌になりながら諌めてくれました。
東京ちゃんもこのときは「ごめんごめん、冗談だよ」と言って矛を納めてくれましたが、何となく私は「この子は隠れて撮るんだろうなぁ」と思っていました。
だって、だいたい、この手の人は自分の目で見るまで信じることは無いですから。
そんなこんなで、フェリーが船着き場について島に上陸。
この手の話でよくあるような、ついた瞬間から嫌な気配がしたとか、島民が全然歓迎ムードではなかった、みたいな、怖い話にありがちな展開は一切ありません。
何故なら、私は写り込むだけで、霊的なものを見ることも、感じることも出来ないので分かりませんし、年末年始で島に帰省しに来ましたみたいな家族連ればかりがフェリーに乗っていたので、フェリーを降りたらガヤガヤしてましたから。
休題閑話、船着き場で待っていてくれていた民宿の方に連れられて宿へ。
「何もないとこにわざわざ年の瀬に来るなんて変わってるね~」なんて言われながらも和気あいあいと旅は進みました。
宿について荷物をおろしたらすぐに、「首塚へ行くぞー」と東京ちゃんが言い出したため、お昼ご飯もほどほどに、九鬼嘉隆の首塚へ向かうことになりました。
名将九鬼嘉隆の首塚は島の東側の小高い丘の上にありました。
今思えば最初から狙っていたのだと思います。行きは3人でガールズトーク満載で行ったのにも関わらず、帰り、急に東京ちゃんが静かになりました。
正直、絶対に何かあったことは見れば分かりました。
宿に帰って、京都ちゃんと二人で「撮りよったな、アイツ」って言う意見で一致。すぐさま東京ちゃんに詰め寄るも完全に無視。
次の日は民宿の人がつれていってくださる釣りに行く予定でしたが、京都ちゃんと二人で話して、速効でキャンセル。
最悪の状態で夜を迎えることになりました。
先に言っておくと、ここから家に着くまでは何も起きません。
と言うか、重ね重ねになるかもですが、何かあったのかもしれないし、何かとり憑いていたのかもしれないですが、私には感じることも、見ることも出来ないので分かりません。
なので私は普通に爆睡して朝を迎えました。
と言うか、基本的な話なのですが、私は怖いのは嫌いです。
トイレ一人で行けなくなります。
お風呂も入るの怖くなってしまうくらいです。
なので、正直、色々勘弁してほしかったです。
京都ちゃんの話だと、東京ちゃんは夜通し何やらうなされていたそうです。
当然、私は帰宅後も何もなく普通の毎日を過ごしていました。
と言うか、絶対にヤバイのは察しがついたので関わらないようにしていました。
しかし、連休明けの京都ちゃんからの電話で事態が一変。
私も京都まで行くはめに…
この時はほんとにブチ切れましたね、人生で一番怒りました。
話の中身は以下の通りです。
1、写真はやっぱり撮っていた。
2、櫛稲田ちゃんを後ろから撮影していて後頭部に人の顔がガッツリ写っている
3、どうやら東京ちゃんは首塚に座ったりしたようだ
4、東京ちゃんも体調悪いし、写真もあるからお祓い紹介して
はい、一回天に召されよです。自業自得MAXですよ。電話口でもさんざん色々言いました。
ですが、内心、私も焦ってました。
何故かと言うと、写り込んでしまっていたから。特に、自分に。
私はいつも写り込むので、一年に一度京都まで写真のお祓い、供養に行っていました。
大体は光の玉くらいのものばかりで、さして問題ではないものばかりなのですが、極稀に今回のような、誰が見ても分かるような写真があります。
実際、この手の写真を供養するために行っているようなものなのですが、今回は、東京ちゃんが体調崩して明らかにおかしくなっているので、もしかしたら自分にまで被害が来るかと思い焦っていました。
散々ぱら文句を言い散らした上で、何故か電話口の京都ちゃんに謝られ、イライラしながら善後策を考えることに。
1、すぐに京都まで行って写真をお祓いと供養
2、東京ちゃんも京都ちゃんも一緒に行ってお祓い
出来ることなんてこんなくらいのものです。
現像した写真を持ってい、いつも供養してもらっているお寺へ向かうため京都へ向かいました。
そんなキャッチフレーズありましたよね。
一切の同情なく、本当に迷惑な京都旅行でした。年末年始で三重県に旅行に行き、連休明けには京都にお祓いに行くなど、全く想像しておりませんでした。
愛知から二人を連れ、京都へついて、いつものお寺に行き、写真を見せ、お祓いに…
なるかと思いきや、僕だけ別室へ通されてお茶とお茶菓子が…
どうやら二人はそのとき先生(住職)からとてつもない説教を受けたそうです。
とんでもないことをしてくれた、ものすごく怒っている。本当なら今すぐ現地へ向かって深く謝罪しないといけない。
こう言われたそうです。そんなこと知るよしもない私はテレビを見ながらお茶とお茶菓子を堪能していました。
二人はその後お祓いをしてもらい、私のところへ来ました。
住職から話を聞き、その日はお寺に泊まることに。
いや、何が一番怖かったかと言うと、この、「お寺に泊まる」です。
年を重ねた今でも、このミッションが人生で一番怖かった気がします。
翌日、やっと精気が幾らか戻って来た東京ちゃんを引き連れて帰路へ。
帰りの際まで住職に繰り返し怒られていた二人を見ても自業自得だと思いながらお寺を後にしました。
本当は、たぶんもう少し面白おかしく書くことも出来たのかと思いますが、何せネタがネタなのと、執筆力が足らないためお許しください。
愛知に帰ってからは徐々に回復して半年くらいたったら大学にも戻れた東京ちゃん。
えっ、そんなに悪かったのかって?
愛知に戻ってからは入院してましたからね。そのせいで一年の後期の単位は全部落としたらしくて3年生の時に苦労してました。
でも、私からすれば、その程度ですんで良かったなと。正直、細かい描写は省きましたが、首塚でのやり取りや、帰ってからの東京ちゃんの様子や、京都へ行くまでの様子などは酷いものでした。
本人も記憶がとぎれとぎれどそうですが、2度とあんな思いはしたくないそうです。
そして、やはり、首塚に限らず、お参りする場所でふざけたり、無意味に写真を取ったりなどはするべきではない事を学んでくれたそうです。
さらに、私が写り込む体質だということも信じてくれたそうです。
いかがでしたでしょうか。今回は大学時代の旅行の話をまとめてみました。冒頭でも書いたように、とにかく今回は、この手の場所でふざけないこと、この手の場所で写真をむやみにふざけて撮らないことが伝わればいいなぁと思います。
この東京ちゃん、実は懲りない人でもうひとつ伝説的なことをやらかしてくれます。
場所は福井県御浜町。こちらはまた別の機会で提供できたらと思います。
世の中には心霊写真を信じない人がたくさんいます。
別にそれ自体を否定する気はありません。
しかし、現に説明のつかないような写真はたくさんあります。
これを読んでくださっている貴女はそういった写真に出会わない事を切に願っています。
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