イタリアのルネサンス期に生まれ、当時の芸術の中心だったフィレンツェや、水の都・ヴェネツィア、ミラノなどで活躍した、万能の天才「レオナルド・ダ・ヴィンチ」。
彼の実際の活躍や天才たる所以を、彼が描いた絵画を通して紹介する連載も、今回で8回目になります。
第6回からは、レオナルド・ダ・ヴィンチの全盛期と言われたミラノ時代を紹介しており、この記事ではその中でも「傑作」と称される、
『白貂を抱く貴婦人』
『ラ・ベル・フェロニエール』
この2つの肖像画について紹介・解説していきます。
絵画技法・瞬間の切り取り方・絵画から感じられる気品は、世界一知られているあの有名な絵画『モナ・リザ』とも多くの共通点があります。
この肖像画の魅力やレオナルド・ダ・ヴィンチのこだわりを知り、絵画をより深く味わっていただけたら嬉しいです!
フィレンツェでは思ったような活躍を残せなかったレオナルド・ダ・ヴィンチですが、その名声や才能は広く知られており、ミラノでは貴族たちに重用され、自由に才能を発揮することができました。
そんな時期に、レオナルド・ダ・ヴィンチは2人の美女の肖像画を描いています。
そのうちの1つが下の『白貂を抱く貴婦人』であり、1490年頃に製作されたと考えられている、レオナルド・ダ・ヴィンチの真作(本人が製作したことが確実な作品)です。
『白貂を抱く貴婦人』のモデルは、15~16世紀にかけてミラノを統治していたスフォルツァ家の当主「ルドヴィーコ・スフォルツァ」の愛人である、チェチーリア・ガッレラーニ。
これ以前にも女性の肖像画を描いたことのあるレオナルドですが、その頃から比べると、明らかに技量が上がっていることが伺えます。
この肖像画の貴婦人は、なぜ白貂を抱いているのか?
実は、白貂には様々な意味が込められており、レオナルドの知性とユーモアのセンスを象徴しています。
まず白貂は、その毛皮が貴族や王族など身分の高い者たちの衣装としてよく使われていたことから、白貂を所有している=その者が上流階級であることを表わしています。
絵画をひと目見ただけで権威が分かるよう、白貂が「象徴」として描かれているのです。
また白貂は、「自身の美しい毛皮が汚れるくらいなら死を選ぶ」と言われるほど高潔な生き物とされています。
その生き様から、白貂は「清浄」の象徴ともされていて、貴婦人(チェチーリア・ガッレラーニ)の気高さや上品さを称える役割を果たしています。
ちなみに、白貂はギリシャ語でガレ(galay)であり、ガッレラーニ(Gallerani)と語呂合わせにもなっているのです。
さらに白貂は、ルドヴィーコ・スフォルツァがその功績を称えられて受賞した「白貂勲章」とも意味が掛け合わされています。
上記の通り、白貂には様々な意味があり、他の動物ではなく白貂だからこそこの絵画は成立しているのです。
レオナルド・ダ・ヴィンチが描く肖像画は、どれも、
以上の3つの共通点があります。
『白貂を抱く貴婦人』は、一見すると普通の一枚絵ですが、静止画とは思えない躍動感があります。
チェチーリアの身体は右に傾いていますが、顔は左側を向いており、まるで視界の左側にちらっと映った何かを見つめたその「瞬間」を切り取ったかのようです。
このモデルの身体を傾ける(正面を向けない)描き方は、レオナルド・ダ・ヴィンチが開発し発展させた数多くの絵画技法の1つです。
そして『白貂を抱く貴婦人』は、レオナルドが描いた肖像画の中で、最も動きのある肖像画と言っても過言ではないでしょう。
『白貂を抱く貴婦人』は、
などなど、どれもレオナルドの持ち味である「観察力」と、完璧主義ゆえの「数多の習作」によって本物さながらに描かれており、絵画の中の人間が実際にいるような錯覚を感じさせてくれます。
鑑賞中に、人体の構造に少しでも違和感を抱いたら、途端に現実に引き戻され魅力を感じなくなってしまうことでしょう。
人間の描写に長けるレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画の中でも、『白貂を抱く貴婦人』は特に完成度が高く、彼の才能を象徴する一枚と言えます。
『白貂を抱く貴婦人』と同時期(1492~1495頃)に描かれたもう一つの肖像画が、『ラ・ベル・フェロニエール』です。
この絵画のモデルは今なお明らかにされていませんが、
この2人のどちらかと考えられています。
いずれにしても、ミラノを治める領主に近しい人物であり、レオナルド・ダ・ヴィンチにとってミラノ時代が全盛期だったことが分かりますね。
ラ・ベル・フェロニエール(La Belle Ferronnière)には「美しき金物商」という意味があり、フェロニエールとは細い鎖などを頭部に巻いたアクセサリーのことを指します。
先ほどの『白貂を抱く貴婦人』と比べると、こちらはいささか人物の動きが少なく描かれています。
身体は右側に大きく傾けられていますが、顔の向きは身体とさほど変わっていません。
この絵画の「一瞬」とは、一体どこにあるのか?
その答えは、モデルの人物の「視線」です。
肖像画の女性は、まるで視界の外の何かに反応し、目線だけをそちらに合わせてちらっとだけ確認するように描かれています。
その「何か」とは、夫が自分を呼ぶ声かもしれませんし、ただそよ風で草木が揺れた音に反応しただけなのかもしれません。
そうした想像が観客の頭の中で膨らむことを意図して、レオナルドが仕掛けたトリックとも考えられます。
鑑賞者は、モデルが真正面を見ていないことが気にかかり、彼女と視線を合わせようと平面の絵画を立体的に見ようと努めます。
このように、一枚の絵画を様々な角度から鑑賞し、想像する楽しみを味わえることが、『ラ・ベル・フェロニエール』の最大の魅力なのです。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、
画家が人間を描く時は、突然の出来事によって引き起こされる一瞬の動きや身振りに注意を払うことが重要だ。
と手稿(メモ)に書いています。
『白貂を抱く貴婦人』も『ラ・ベル・フェロニエール』も、レオナルド・ダ・ヴィンチの画家哲学を象徴する作品なのです。
また、この2作品はスフマート(輪郭をぼかす技法)が一部で使われており、この肖像画なくして『モナ・リザ』は誕生しなかったことでしょう。
この2つの肖像画を完成させた後、レオナルドはいよいよ、ルドヴィーコ・スフォルツァから『最後の晩餐』の製作を依頼されます。
次回は、「現存していることが奇跡」と言われる『最後の晩餐』の魅力を、余すことなくご紹介していきます。