ジャンヌ・ダルクといえば、
という、偉人という以上に、悲しいイメージが感じられませんか?
死後に聖人と認められた彼女の人生は、おそらく歴史上のどの偉人よりも壮絶です。
その人生の中でも最も理不尽だったのは、有名な異端審問から最期の処刑までの時期。
ジジャンヌの処刑には、どうあがいても有罪確定の「出来レース」と言うべき、いくつもの罠と陰謀が張り巡らされていました。
その憤りを感じずにはいられない「8つの罠」について、詳しく見ていきましょう。
ジャンヌの異端審問を主導したのは、ピエール・コーションという聖職者でした。
実は彼、正当な司法権を持っておらず、裁判長であること自体があり得ない状況だったのです。
ジャンヌが審理中に望んだ、
といった正当な権利を、コーションは「自分の審理を妨げる行為」として却下し続けました。
こうして、ジャンヌを有罪にしたいイングランドの思惑まる出しの、誰が見ても出来レースの裁判が開かれたのです…。
ジャンヌの異端審問は、彼女を有罪と認めるほどの物的証拠も証言も無いまま開かれています。
しかも先に書いた通り、偽りの裁判長に審理を任せるなど正当な法的根拠もありません。
「疑わしきは罰せず」といいますが、そもそもその疑い自体があやふやだったのです。
裁判を公平に進めるため、どれだけ凶悪な犯罪者であっても弁護士をつける権利が与えられます。
ジャンヌには、この弁護士をつける権利さえ与えられていませんでした。
ジャンヌがいくら無罪を主張しても、ただの言い訳にしか聞こえない状況でした。
ジャンヌの初回の異端審問に出席した人物は、ほぼ全員が敵国(イングランド)側の者ばかり。
ジャンヌに同情する者すらおらず、彼女の味方は誰一人いませんでした。
数少ない味方と思われた人物さえ、イングランド側から「逆らったら死刑」と脅迫され、強制的に参加させられていたのです。
教会の教理では、「人間は神の寵愛を認識できない」とされています。
つまりこの質問に「はい」と答えたら、教理に則っていないとして異端確定。
「いいえ」と答えたら、神の意思ではなく自身の都合で戦争を起こした犯罪者とされ、どちらにしろ有罪(死刑)確定だったのです。
このような仕組まれた質問が、ジャンヌにはいくつも投げかけられていました。
起こったことを忠実に書き留めるはずの裁判記録さえ、ジャンヌが不利になるよう改ざんされています。
最も有名な改ざんは、「宣誓供述書」と嘘をつき、「異端を認める」と書かれた、実質死刑宣告の書類に署名をさせたこと。
ジャンヌは読み書きができず、書類に書かれた内容を理解できず、口で伝えられた嘘を信じて署名をしてしまったのです。
異端の罪で死刑となるのは、異端を悔い改めた後、再び異端の罪を犯した時だけです。
つまり異端審問で有罪となったジャンヌは、すぐに処刑を言い渡されたわけではありません。
異端審問の終了後にも、ジャンヌを処刑したいが為の罠が仕組まれています。
異端審問で有罪となったジャンヌは、審問終了の条件として「それまで行っていた男装をやめる」ことに同意しました。
しかし独房に戻った後、ジャンヌには女装のための衣服が一切与えられず、イングランド側は遠回しに男装を強要します。
ジャンヌはこのことを訴えましたが、イングランド側は当然のように無視。
いずれ牢の外に出ざるを得ない状況になり、やむなく男装で外に出たところ、
「再び異端の罪を犯した」
とされ、これが死刑判決の決定的な理由・証拠となったのです。
ジャンヌの男装は、
などを理由に、異端審問以前から正式に認められていたとされています。
再び男装した理由を問われたジャンヌは、毅然と「教会から認められた行為だった」と主張します。
この反論もやはり却下され、異端者として火刑に処されることになったのです。
ジャンヌが異端審問で有罪にならなくても、彼女の処刑は決定していました。
イングランドがフランス側に送った書簡には、
「ジャンヌが有罪にならなかった場合、イングランドは独自の判断で彼女を裁く」
と書かれていたのです。
ジャンヌの有罪と処刑は、そもそも異端審問以前から決まっていたのです。
火刑によって亡くなる直前まで、ジャンヌ・ダルクは、
「イエス様!イエス様!」
と叫び続けたそうです。
ここまで理不尽な行為を受けてなお、最期の最期まで聖人であり続けたのです。
この揺るぎない信念には、同じ人間として尊敬を感じずにはいられませんね。
[amazonjs asin=”B07SHT5HM4″ locale=”JP” title=”ジャンヌ・ダルク 超異端の聖女 (講談社学術文庫)”] [amazonjs asin=”B00SCEEFWA” locale=”JP” title=”ジャンヌ・ダルク(字幕版)”]