トム・クルーズが主演を飾って映画にもなった「ワルキューレ」にも描写されたヒトラーの暗殺計画。
同映画のモデルになった暗殺計画は通称「7月20日事件」と言われており、大戦末期のナチスドイツにおいて敗戦色濃厚になったドイツ陣営の中、トム・クルーズが演じたクラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐を始めといた反ナチスの将校、国防軍などの幹部によって計画された大規模なものであった。
「狼の巣(ヴォルフスシャンツェ)」と呼ばれていた総統大本営の中で会議中に爆弾を爆発させることでヒトラーの「確実な殺害」を狙っていたが、爆弾は予定通り爆発したにも関わらずヒトラーはわずかな軽傷しか負うことはなかった。
7月20日事件には多くのナチス党員が参加しており、シュタウフェンベルク大佐を含めて700名以上もの人間が自殺、逮捕、処刑される結果となった。
いわゆる停戦に向けた内部のクーデターであったため、暗殺計画の中でも非常に慎重に練られた計画であったが、結果的にヒトラーは生き延びた。
ヒトラーは独裁体制という性質から、内部から命を狙われることも数多くあったが、最終的に「直接ヒトラーを殺せた人間」は誰一人としていなかったのである。
世界中に「奇跡の生還」と呼ばれるエピソードは数多くあるが、ヒトラーのそれは最早そういった次元ではなかったとも言える。
生命力という呼び方が本当に正しいかどうかは別としてヒトラーに生き延びる力があったことは可能性として充分にある。
数々の暗殺計画もだが、ヒトラーは第一次世界大戦の頃は伝令兵をしていた。
しかもこの伝令兵という役目は最前線において状況報告を言葉ですることが多かったことから、非常に死亡率の高い危険な役割であったという。考えてみればある意味当たり前の話で、砲弾、銃弾が雨のように飛び交う戦場で走り回っていたのが当時のヒトラーであった。
しかし、ヒトラーは第一次世界大戦において重傷を負うこともなかったという。
さらに興味深いのは、ルドルフ・ヘスの後任になった秘書長マルチン・ボルマンなどに語ったとされる回顧の中で「突然”何者か”が後ろに下がれと強く言ってくるのが聞こえた。なぜかその言葉には真実味があったため、その通りに後退すると次の瞬間には元いた場所に敵軍の大砲が炸裂していた」といったような霊的な体験を第一次世界大戦の時からしていたことにもある。
ヒトラー曰く、この頃から時々何かを決断するにあたって同様の声が聞こえることがあったらしい。
それは突発的であったり、予感のようなものから来ることもあったようだが、自分とは違う誰かの声が聞こえるというオカルティストや神秘思想家独特の体験を若い時からいくつか経験していたという話がある。
これらの声の正体は知る由もないが、例えばヒトラーが暗殺計画から生き延びたエピソードには以下のようなものがある。
ミュンヘンのとあるホールで演説をしていたヒトラーを狙った暗殺計画であり、ヒトラーが立つ演壇の後ろに時限爆弾をセットしたものであった。
総統演説は当時のナチス政権下では頻繁に行われており、演説時間もおよそ2~3時間であったという。
しかし、この時のヒトラーは小一時間の演説を終えるとふいに会場を後にしてしまった。そしてヒトラー演説の約18分後に時限爆弾が炸裂し、死亡8人、負傷者が60人以上となる大事故になった。
位置関係から考えるとヒトラーがこの僅か18分を演壇から去っていなければ確実に死亡していただろうと言われている事件でもある。
この爆弾を仕掛けたのは単独犯であり、ゲオルク・エルザーという田舎の家具職人であった。
ルドルフ=クリストフ・フォン・ゲルスドルフ大佐が説明と案内役を担当する予定であったヒトラーの博物館への訪問時に、大佐が自爆覚悟で時限爆弾と共にヒトラー殺害を狙った暗殺計画の1つであった。
訪問時間の予定は当初30分程度だったと言われているが、なんとこの時のヒトラーは博物館に入ってから僅か2分で通用口から足早に去ってしまったというのだ。
ミュンヘン。ビアホール事件の18分という時間差だけであれば、”たまたま”だったという解釈もできるが、入って2分で出て行ってしまうというのは、もはや異常な行動であるとしか言いようがない。
すでにソ連と戦争状態に入っていたナチスドイツ。東部戦線の視察のためにヒトラーは専用飛行機で戦線の視察に向かった。
この飛行機には時限式爆弾が仕掛けられていたが、結果的に爆発することなく飛行機は目的地へ着陸している。
後の研究によると、ソ連領域の寒波が原因で作動しなかったと言われているが、例によって真相は不明である。
ミュンヘン・ビアホール事件と同じく、爆発すれば確実に死亡していたと言われる暗殺計画であったが、これも不発に終わってしまった。
よく「ヒトラーは病気であった」という通説もあるが、これに関しては現在でも研究者の多くは否定している。身体的な病気ではなく精神的に異常であったという説も多いが、アメリカ政府によって保管されているヒトラーのメディカルレポートには、むしろ常人よりも優れている部分の方が多かった記録が残されている。
一説にはヒトラーのIQは150以上あったとも言われており、これは東大生の平均的なIQよりも30以上高いことを示している。
善悪は別物であるが、ヒトラーは稀代の天才政治家であったことはあの故・三島由紀夫も著作の中で触れている。
ベルリン崩壊の時にも、最期の伴侶であったエヴァと共に自殺を遂げているが、その遺体は見つかっていない。そしてその事実は東の独裁者であったスターリンを震え上がらせたことでも有名なエピソードである。
本記事で紹介した意外にもヒトラーは数多くの暗殺計画から生き延びており、その数は全て合わせると40回以上とも言われている。
九死に一生を得る、奇跡の生還とはたまたま運がよかった事を指す言葉であるが、ヒトラーが全ての暗殺計画から生き延びた事実を「運が良かった」の一言で片付けるのは少々無理があるのではないだろうか?
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