1939年に中国と日本の間に亀裂を走らせたとする未解決事件が発生しました。
それが、今回紹介する「南京総領事館毒酒事件(なんきんそうりょうじかんどくしゅじけん)」です。
2020年現在も犯人特定、犯人逮捕に至っておらず未解決事件となっています。
今回の記事ではそんな「南京総領事館毒酒事件」について詳しく触れていきたいと思います。
1939年6月10日、南京総領事館では「清水留三郎」外務政務次官の歓迎祝賀会が開かれます。
清水政務次官の他に、日本軍の用心や中華民国維新政府行政院長「梁鴻志(りょうこうし)」、立法院長「温宗堯(おん そうぎょう)など他合計20名が来客していました。
8時頃、乾杯の音頭と共に一同はこ老酒を口にします。
するとその直後苦しみを訴え昏倒する者、嘔吐する者で会場は溢れかえったのです。幸いにも領事館警察の署長は老酒を口にしていなかったため、直ちに部下を集め、中毒者の応急処置と緊急配備の敷設に当たったのです。
署長は老酒が苦手だったためビールで乾杯していた。
そのため吐き気や昏倒することがなかったとされている。
「宮下玉吉」書記生と「船山巳之作」書記生は服毒したのにも関わらず来客者たちへの介護を行ったのです。
そのため、自身の手当てを怠ってしまったため、夜半ばになると相次いで命を落としてしまったのです。
翌朝には容態が良好で完治した人物がいたそうです。
捜査の結果、老酒の中に猛毒性のヒ素が検出されました。
さらに、事件発生2時間前に中国人給仕1人が姿を消していることが判明します。
その後、その中国人給仕から手紙が届きます。
自分が犯人で、日本軍に恨みをもっていたこと。長年勤めていた領事館の方々には大変申し訳なかったこと。手紙が届く頃には香港経由で奥地に逃走している。
という旨が記されていたのです。
果たして、この給仕の単独犯か、あるいは時代背景に関係があったのか。
この手紙の真偽についても捜査が行われたのですが、結局未解決のまま終戦に至ったのです。
中国の代表的な穀類醸造酒。一般にもち米,とうもろこし,粟などを原料にした紹興酒のうち,長年貯蔵されたものをいう。製法により,また地域により種類も名称も異なるが,色は褐色で,やわらかな酸味と特有の苦みがあり,老という名のように,年代を経たものほど珍重される。
出典:コトバンク
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について
皆さんは一度は「ヒ素」という物質を聞いたことがあるのではないでしょうか?
普段は医薬品や半導体、農薬、木材の防腐処理などに利用されています。
しかし、ヒ素が少量でも体内に入り込んでしまうと中毒症状を起こしたり、最悪の場合死に至るということもあり得るそうです。
体重50kgの人間がたった20mg(最低致死量)を摂取してしまうと死に至るそうです。
急性砒素中毒になると、吐き気、腹痛、下痢などが見られ、重症になると発熱、不整脈、意識がもうろうとするなどの症状が出現してきます。
このような症状は命に関わるものだそうです。
慢性ヒ素中毒の症状としては、皮疹ができる、皮膚がんや肺がんなどにかかりやすくなる、鼻や肺の粘膜に障害が起きる、手足がしびれる、痩せてくる、などがあります。
過去にこのヒ素を使用した事件なども発生しています。
以上が「南京総領事館毒酒事件」です。
一部では、この事件によって中国と日本の間に亀裂が入ったともいわれています。
確かに、自身の国の要人が殺害されれば国も怒るのもしかたがないですよね。