古事記に登場する黄泉戸喫(よもつへぐい)という言葉を知っているでしょうか?
これは、黄泉の国で飲食をすることを意味しているのです。
この記事では、なぜ黄泉戸喫(よもつへぐい)という言い伝えが生まれたのか?
また、黄泉戸喫(よもつへぐい)がモチーフにされている作品例を挙げて紹介していきたいと思います。
黄泉の国(死んだ人がいく世界)で、戸喫(戸=竃を意味し、喫=は食べることを意味する)
つまり、黄泉戸喫(よもつへぐい)とは黄泉の国の竃で料理された食べ物を食べるという意味を表しています。
[amazonjs asin=”B07CDJW956″ locale=”JP” title=”DESTINY 鎌倉ものがたり Blu-ray (豪華版)”]結論から言うと「あの世から帰ってこれなくなる」のです。
古い習慣の背景から考えると、死者と一緒に埋めた食べ物を死者が食べることにより、安らかに眠ることができるとされています。
つまり、生きている人間が黄泉の国へ行き、黄泉の国の食べ物を食べてしまうと永遠に眠り続けるという意味になってしまうため、あの世から帰ってこれなくなってしまうとされているのです。
イザナミという女神がカグツチという火の神を生んだことで火傷を負ってしまい死んでしまいます。
イザナミの死を悲しんだ夫イザナギが彼女を忘れることができずに、黄泉の国へ迎えへ行くのです。
しかし、何故かイザナミは現世に返ることを拒みます。
なぜならば、黄泉の国の食べ物を食べてしまったからなのです。
イザナミの正直な気持ちは現世に帰りたいという気持ちでした。
そこで、イザナミは自分が現世に返ることができるのかを黄泉の国の住人に相談してくるから、その間は絶対に覗き見ないでほしいとお願いします。
しかし、イザナギは興味本位で覗いてしまうのです。
そこには、腐ってウジ虫がわき、厄雷神がまとわりついたイザナミの姿でした。
あまりの驚きにイザナギは逃げ出します。
イザナミは追いかけますが追い付けず「地上の人間を毎日1000人殺す」と言い残します。
イザナギはその言葉に対して「私は人間を毎日1500人生まれるようにしよう」といったのでした。
[amazonjs asin=”4336059241″ locale=”JP” title=”絵本古事記 よみがえり──イザナギとイザナミ”]普段私たちが見ているアニメをはじめとする作品の多くに黄泉戸喫(よもつへぐい)が起用されているのです。
主人公の両親が異世界?に行ってしまい、その世界の食べ物を食べてしまいます。
その結果豚にされてしまいます。(神様の食べ物を食べたから)
それに比べて、何も食べなかった千尋だけが被害に合うことはありませんでした。
しかし、主人公はその世界へ深く入り込んでしまうため、その世界に一時的に住まざる負えない状況になってしまいます。
その世界を生きていくには、その世界の食べ物を食べなければ消えてしまいます。
そこに、ハクという男性が現れ、主人公に食べさせるのでした。
これも黄泉戸喫(よもつへぐい)の一種として考えても間違いではありませんね。
SIRENとはソニーが販売していたホラーゲームです。
こちらも同じように異世界に入り込んでしまった主人公と村が舞台です。
その場所では赤い水の雨が降り続いています。
この雨の正体は神の血で、これを体内に取り込むことで異世界の住民になるといった設定になっています。
ストーリーの展開の際に、水を飲もうとした人に「黄泉戸喫(よもつへぐい)ぐらい知っているだろ?」と水を飲むことを止めるような発言もあります。
ここまで説明してくると、仏壇にあるお供え物を食べたら黄泉戸喫(よもつへぐい)になる?という疑問がわいてくると思います。
黄泉戸喫(よもつへぐい)は、黄泉の国で黄泉の国の竃と火を使って煮炊きしたものであると解釈できるため、仏壇に供えてあるフルーツや現世で加工されたものに関しては黄泉戸喫(よもつへぐい)には当たらないと考えられます。
現代でも、神様にお供えしたものを食べることで、神様と親しくなれるといった考え方も残っているそうです。
いかがだったでしょうか?
黄泉戸喫(よもつへぐい)について知ることができたでしょうか?
少なくとも一度は聞いたことがあると思います。
もし、何かの拍子で黄泉の国へ行ってしまっても、絶対に食べ物を食べないでくださいね。
帰ってこれなくなってしまいますよ!