祟り・・・荒御霊でもあり、そして、手厚く祭れらていれば守り神になることもあると入れている伝説的なものです。
祟りとか呪いは眼には見えないものですが、信じる信じないは別にして「気持ちの良いもの」ではありません。
祟り神と言われる伝説をもつものは、日本に数多く存在していますが、その中でも有名なのが「平将門の首塚」です。
平将門の首塚は、日本三大怨霊と呼ばれている場所で「東京都千代田区大手町1丁目2番」にあります。
三大怨霊とは今回紹介する首塚の平将門と太宰府に左遷された菅原道真、そして、崇徳天皇です。
JR東京駅や地下鉄大手町駅の近くにあって、とても有名ですから、知っているという人も多いのではないでしょうか。
この首塚は、祟りの場所としても知られていますし、逆にパワースポットだという人もいるとか。
日本三大怨霊・・・祟りの首塚・・・となかなか気味が悪い平将門の首塚ですが、この首塚を今、改修工事しているそうです。
平将門公「平将門公|将門塚保存会」によると
平将門公没後1081年にあたり、1961年の第1次整備工事以来、数えて第6次目の改修工事を実施することになりました。
とのこと。
もちろん、ちゃんとした工事が行われていることは言うまでもありませんが、新型コロナウイルスが流行しているこのタイミングでの改装工事に「祟りは大丈夫なの?」と心配している人も少なからずいるそうです。
この工事は大手街再開発に伴うもの・・・祟りがないようにきっとしっかりとそれなりの対策がしてあるはずですが、ちょっと怖い気もしてしまいます。
この工事で何か祟りがあるのか、それとも何事もないのか・・・。
たた、日本でもボスクラスの祟り神ということもあって、ネットではちょっとした話題になっています。
平将門は平安時代の豪族です。板東八カ国を制覇した強者で武術に長けた人物でした。当時の日本は王朝国家が支配する貴族政治。そんな時代の中で朝廷揉めた平将門が納めた板東八カ国はわずか2ヶ月足という短い期間でした。
そして・・・平将門は940年に討ち死に。首は平安京の都大路で晒さられるという最後でした。
たた、この時に、首が身体を求めて飛んでいったという伝説があり、それを祭ったものが平将門の首塚といわれています。
平将門の遺体は全国の様々な場所にバラバラにされて埋葬されており、これは強い力をもつ霊を押さえるための方法だそう。
それだけ強い力をもつ祟り神として平将門が恐れられていたということです。
ただし、祟り神は手厚く供養して正しく祭ることで神様になるとも言われています。実際に、平将門の首塚は史跡に指定されており、保存会も立ち上げられ丁重に扱われている場所でもあります。
平将門は日本三大怨霊として知られる平安時代の豪族です。
平将門は討ち死にした後、首を平安京でさらされのですが、その時に身体を求めて首が舞ったという伝説がある人物です。
平将門の遺体は霊力を押さえるため支解分葬という方法で埋葬された過去があることでも知られています。
この平将門の首塚を今、大手町の再開発で工事して移動しているというのですが、ネットでは「祟りは大丈夫なのか」という声も聞かれています。
再開発工事に伴うこの改修工事・・・もちろんちゃんとした方法で進められているハズですが、平将門はどう思っているのでしょうか・・・。
参考資料:なぜ平将門は現代でも「祟る」のか?近代に翻弄されたビジネス街の神