今回紹介する「青ゲットの殺人」とは、雪の降る夜に青い毛布を頭からかぶった男が訪ねてきて1人を連れ出し、2人目を連れ出し、3人目を連れ出し、そしてみんな死んだと言う怪事件です。
今回の記事ではそんな青ゲット事件について詳しく紹介していきたいと思います。
明治時代の福井県にて悲惨な事件が起こります。
1906年2月11日、吹雪の夜のことです。
福井県三国町の回船問屋である橋本利助商店に訪問者がきました。
訪問者の姿は、頭から青い毛布を被り、店の番頭である「加賀村吉」に面会を求めてきました。
「親戚の婆さまが急病で倒れたので、すぐにきて欲しい」
外はほとんど吹雪であったが、相手方の状況を見ると行かないわけにはいきませんでした。
村吉はそんな青毛布に導かれ店を後にします。
それから、2時間後、今度は村吉の自宅に青毛布の男が訪れます。
川向こうの新保村から来たとのことです。
親戚の婆さまが重病で「三国のおっかさんに会いたい」と言っている旨を告げます。
話を聞いた村吉の母は青毛布とともに吹雪の中に消えていきます。
それから、1時間後青毛布の男が再び訪れてきます。
次は村吉の妻を連れ出します。
このとき、隣家の人に子持ちを頼み家を出ます。
それから40分すると再び青毛布の男が訪ねてきます。
次は村吉の子供(当時2歳の幼女)を連れ出そうとしますが、留守番をしている隣家の妻は不審だと思い取り合わなかったのです。
「こんな雪降るよるに幼い子を連れ出すなんて、いくら何でも承知できない」と。
青毛布の男は食い下がらなかったのですが、隣家の妻の言葉によって諦めて帰っていきました。
そして、翌朝、連れ出した物たちの死体が次々と発見されたのです。
翌朝、三国町と新保村を繋ぐ橋で悲惨な現場が発見されます。
全長500メートルほどの木造の橋のちょうど中央あたりにおびただしい血液で雪が真っ赤に染まっていたのです。
さらに、その脇にある橋の欄干が斧で叩き落としたが如く、バッサリと無くなっていたのです。
事件の一報を受けた警察は捜査を開始します。
遺体がなかったことから、おそらく川に投げ込まれたのだろうと判断されました。
警察は川一帯を捜査すると、1人の遺体を発見します。
それが、加賀村吉の母親であることが判明します。
そこで、昨夜に村吉一家のほとんどが家から連れ出されていたことと誰も帰ってきていないことが判明します。
しかし、川をいくら探せど村吉の遺体は発見できませんでした。
犯人の年齢は30歳くらいに思われる。
人相については、頭から毛布をしっかりとかぶっていることからわからない。
警察は重大事件として事件を扱い、警察署全員で不眠不休の捜査に当たるのです。
①加賀村吉に恨みを持っている人物
②男が被っていた青毛布に関わりがある物
このような手がかりを元に捜査をしていたのですが、有力な物は得られませんでした。
村吉は酒も飲まず、真面目で、人から恨みを買うような人物ではなかったそうです。
捜査は長期化し、解決に尽力したのですが、1921年この事件は時効を迎え迷宮入りを果たしてしまうのでした。
以上が「青ゲットの殺人事件」です。
この事件からは、何だが不気味さを感じるような事件でしたね。
時効を迎え、迷宮入りを果たしてしまった今ではその正体を知ることはできませんし、筆者はどこかしらこの事件の詳細を知ってはいけないのではないかなと思えてきました。
この事件にはどこか深い権力や一般人が知ってはいけないような領域があるのかもしれませんね・・・?。