上記画像を見て、なにかしら日本の文化を連想した人はいるだろうか?
この画像は決して日本マニアの海外の子どもコスプレを写しているのではない(念の為)
実は、この少年は教義に習って祈りを捧げているユダヤ人である。
頭に付けた四角い箱は「ヒラクリティー」と呼ばれる物であり、中には旧約聖書の言葉を収めているものなのだ。
ユダヤ人は現代でも祈りを捧げる際に、このヒラクリティーを衣装として付ける。
このヒラクリティーは、今でこそ数は少なくなったが、日本の山伏が頭に付ける頭巾(ときん)と見た目が異様に似ているのである。
山伏は日本のいわゆる霊的な修行者であり、神社仏閣になどに所属する僧侶や神職がなることが多いと言われている。
つまり、神道関係者が主に山伏の格好をして修行しているのである。これまでに神道に関わる神社、神輿などの共通点を紹介してきたが、今回はこれらに関わる当事者である僧侶や神職の人々と、古代イスラエルの民族であるレビ族が担っていた役割についての共通点を紹介していく。
レビ族とは以前紹介した、アブラハムの家系から続く古代イスラエル12支族の中で主に「祭祀」を司っていた一族であったとされている。
12支族の数え方に例外があるのは、このレビ族は祭祀の専門職であったことから12支族に含めないというものである。
レビ族はアークを作ったとされるモーセの時代よりも遥か昔から存在していたとされており、最も注目したい所は、紀元前900年前後、北イスラエル王国と南ユダ王国分かれたとされる時に、「両方の国にそれぞれ一族の一部が分かれていた」ということである。
古代イスラエルの歴史を紹介した時にも触れたが、北イスラエル王国から捕虜となり、アッシリアに連れて行かれたほとんどの一族、すなわち失われた10支族は行方が分かっていない。一方で、南ユダ王国の2支族と共にバビロンへ連れて行かれたレビ族の一部はエルサレムへ戻っており、その後も血脈が続いていると考えられる。
家系的な血筋はともかく、レビ族が担っていた役割はユダヤ人における「祭祀」である。
これを日本に当てはめた場合は神社の神主やお寺の僧侶など、同じく「祭祀」に関係している人達である。
そして極めつけは、この修業中の格好があまりにも共通していることである。
日本人にすれば、山伏という存在は何かしらの宗教に属していなければ、なろうともしないであろうし、触れる機会も少ない(山伏は名前の通り山の厳しい道を歩き、修業をするのが一般的である)
一方、ユダヤ人はユダヤ教徒であることがほとんどの為、小さな子どもでも祈りを捧げる時には決まった格好になる。
これは単純に現代の日本人とユダヤ人との大衆からした宗教観の違いであり、日ユ同祖論の共通点としては充分に取り上げる文化の類似点だと言っても良いだろう。
画像引用元:熊野山中でほら貝を吹き修業中の山伏
興味深いことに、山伏とユダヤ教徒の格好はヒラクリティー以外にも共通点が非常に多い。
例えば、山伏はほら貝を吹き鳴らすが、ユダヤ人のお祭りには「ショーファー」という羊の角で作った吹奏器が使われる。
さらに古代ヘブライのレビ族は、当時から白い衣装を着ており、袖口にはリンネと呼ばれる房があり、山伏や神道の神官などが身にしている衣装にそっくりだったという。
同じ「祭祀」を司る、神道の神官や修業中である山伏と、ユダヤ人の「祭祀」を司っていたレビ族の格好が似ているのは、どうしてなのだろうか?
これは単なる偶然の一致なのだろうか?
もしも日本の文化である山伏や神道の神官の格好だけが、ユダヤ人の格好に似ているという話であればそれは偶然の一致だと考えるであろうが、これらを取り巻く文化、すなわち神社構造や神輿まで似ているとなれば話は別である。
元々は同じ習慣であったものが、少し形を変えて現代で共有していると考える方が、圧倒的に合理性を持つ。
しかも、日ユ同祖論においての共通点はこれだけに留まるものではない。
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