日ユ同祖論を考える上で、どうしても外せない情報が古代イスラエルの成り立ちや歴史と失われた10支族である。
日ユ同祖論の根拠としても重要になるポイントであり、この都市伝説は大筋で言えば古代イスラエルから分かれた一部のユダヤ人部族が日本に来た可能性を示すものであるからだ。
つまり、どうしてユダヤ人が日本に来た可能性があるのか?という根本的な疑問を解決するためには古代イスラエルの歴史を知る必要があると言える。
ユダヤ人と古代イスラエルとは言うが、実は厳密に言えばユダヤ人という呼び名は古代イスラエル民族の1つが後に呼ばれるようになった人種名であり、全ての古代イスラエル人がユダヤ人であった訳ではない。
また、失われた10支族という名前の通り一部の古代イスラエル人は歴史上から完全に痕跡を消してしまっている。この失われた10支族の謎は世界史のおいても未だに最大級のミステリーだと言われている。
まずは古代イスラエルとユダヤ人がどのような歴史を辿ったのかを紹介していこう。
このミステリアスな根拠は日ユ同祖論において必須となるので、前編、後編に分けて解説していこうと思う。
古代イスラエルの歴史には旧約聖書の中に名前の残っているような人物も多いが、全てを書いてしまうと4000年近くの歴史を書かなくてはならなくなるので、ここでは重要なポイントだけを解説していく。
また歴史を解説する上では時代によってヘブライ人、イスラエル民族、ユダヤ人など呼び名が変わってしまうので、先に大まかな概要を紹介しておこうと思う。
アブラハムは後に息子2人(イシュマエルとイサク)をもうけるが、その内のイシュマエルは「アラブ民族の父」となり、イサクにはさらに双子のエサウとヤコブという息子が出来る。
このアブラハムの孫にあたるヤコブが後に「イスラエル」と改名し「全イスラエル民族の父」となる。ちなみに、ヤコブの改名は旧約聖書に記された神の勅命によるものである。
さて、ヤコブが全イスラエル民族の父となった後、彼は4人の妻を娶って12人の息子をもうける。
この12人の息子達は、ヤコブの死後、それぞれの家族を率いて各々がイスラエル12支族の長になっていく。
※「イスラエル12支族」の数え方は諸説あるが、レビ族は祭祀を司る専門職として部族としては数えず、11男のヨセフの息子(マナセとエフライム)をそれぞれ部族として合計で12支族と数えるのが一般的だとされている※
この11男のヨセフは旧約聖書に記された内容によると兄達によってエジプトに売られてしまうという悲劇に見舞われるが、その後、世界的な飢饉が襲い、ヤコブを含めたイスラエル民族は全ての財産を持ってエジプトに逃れる。
そこで待っていたのはファラオの次の地位である首相まで出世したヨセフであった。ヨセフは兄達を許し、イスラエル民族はエジプトを居住地として栄えることになる。
当初ヨセフが首相となっていたエジプトでのイスラエル民族は徐々に栄えていったが、ヨセフの死とヒクソス人の駆逐によって、一大勢力となっていたイスラエル民族はその力をファラオから恐れられて一気に奴隷の地位に落とされてしまう。
これによってイスラエル民族は地位を失い、長い苦難の歴史が始まってしまうのである。
こうした苦難に見舞われたイスラエル民族だったが、紀元前1290年に神に選ばれた預言者である「モーセ」によって、エジプトからの脱出を図ることになる。
ヤコブが神の勅命によって「イスラエル民族の父」とされたようにモーセの出現はある意味でイスラエル民族にとっては救世主の登場であったと言われている。旧約聖書にも語られているモーセは全イスラエル民族を率いてエジプトを脱出し、イスラエル民族の集団で放浪生活をおくる。
神はモーセを通して神とイスラエル民族の契約の証として、この放浪生活の間に「十戒石板」「マナの壷」「アロンの杖」の3種の神器と、それらを収める契約の聖櫃(俗に言うアーク)を授けたと言われている。
※ここに登場するアークなどは日ユ同祖論の根拠の1つとして取り上げられるので覚えていただきたい※
これをもってイスラエル民族は神に選ばれた民族となり、最初のユダヤ教である古代ヘブライ教が成立する。
そして、モーセの後を引き継いだヨシュアによって12支族はヨルダン川を渡った先にあった約束の地であるカナンを征服し、イスラエル王国が建国されることになる。(イスラエルの建国=12支族の居住地が現在のパレスチナになる)
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