家族や友達、学校の先生や会社の上司など、あなたの周りにも様々な人間がいます。
親切にすると喜んでくれたり、喧嘩をすると悲しんだり怒ったりします。
しかし、あなた以外の人間が「優しくされたら喜ぶ、喧嘩したら悲しむ」といったようにプログラミングされただけの機械だったら…
そんなことを考えたことはありませんか?
今回は、自分以外の人間の「心」について考える「哲学的ゾンビ」という思考実験を紹介します。
あなたの住んでいる町、通っている学校や会社などにはたくさんの人がいます。
友達や家族、先生、上司、様々な人とかかわりあって生きています。
もしあなたが熱湯に触れてしまったら「熱い!」といって即座に手を引くでしょうし、針に刺されたら「痛い!」といって顔をしかめるでしょう。
当然、あなた以外の人たちもだいたい同じような反応をすると思います。
しかし、あなた以外の人たちは実際には熱さや痛みを感じていません。
針に刺されると「痛い!」といって顔をしかめる。
そうプログラミングされたただのロボットで、実際には何も感じていない、感じる心や意識を持っていないのです。
このように、外面的には普通の人間と同じ振る舞いをするが、内面的な心や意識を持っていない存在。
オーストラリアの哲学者デイビッド・チャーマーズは、これを「哲学的ゾンビ」といいました。
哲学的ゾンビは、例えば目の前にチューリップがあるとき、それを目でとらえ、「これはチューリップだ」と認識する脳を持っています。
そして、「今何が見えていますか?」という問いには「チューリップが見えます」と答えるのです。
脳科学的に見ると、普通の人間とは区別がつきません。
私たちは、自分のことのみ自分の中で体験し、自分の意識で行動します。
ですから、「自分には心や意識がある」ということはわかりますよね。
しかし、他人の体験や行動は、あくまでその人のことを外面的に見ているにすぎません。
あなたは友達や家族、会社の上司の体験を主体的に体感することはできないのです。
したがって、「どうして自分以外の他の人に心があるといえるのか?」という問いに答えるのは極めて難しいのです。
「クオリア」という言葉を聞いたことがありますか?
クオリアとは、感覚や意識のこと。
空を見ると「青い」と感じ、針に刺されると「痛い」と感じる。しかし、同じ痛みでもその程度には個人差がありますよね。
哲学的ゾンビはこの「クオリア」を持っていないのです。
私たちが「幸せだ」と感じるのは、実は特定の物質が脳に分泌されるからだということがわかっています。
物理主義の立場でいうと、クオリアというものは単なる脳という物理的器官の働きによるものだといえるのです。
私たちは普段、無意識のうちに「物理主義」という考えのもと生活しています。
あらゆるものは物理的であり、物理法則が意識や心(=クオリア)によって変化するとは思わないはずです。
野球選手が打ったボールに対して「伸びろーー!」と念じたところで、一度打ってしまったボールの軌道は変えられませんよね。
物理主義の立場から考えると、クオリアは脳による行動選択には必要ないのではないでしょうか。
人間がクオリアを持っている理由を説明するには、多くの人が信じている物理主義の考えは改めなくてはなりません。
ましてや、「心」や「意識」なんて私たちは当たり前のように持っていると信じていますよね。
「哲学的ゾンビ」という思考実験は、そういった物理主義にすら疑問を投げかけました。
当然、デイビッド・チャーマーズがこの思考実験を発表した当時、科学者や哲学者に大きな衝撃が走ったのはいうまでもありません。
有名な思考実験「哲学的ゾンビ」を紹介しました。
あなたの家族や友達、街行く知らない人々の中にも、もしかしたら哲学的ゾンビがいるかもしれません。
あなただって、明日の朝起きると哲学的ゾンビになっているかもしれません。
もしそうだとしても、残念ながら世界は何も変わりませんが…