前回の記事では古代日本に『空白の4世紀』と呼ばれる期間があり、それらの時代に文化的にも大きな変化があったことを紹介しました。
1つは魏志倭人伝において邪馬台国の存在していた時期には『馬や牛』などが存在していなかったこと。
そして、邪馬台国が時代から消えると共に、馬の存在していた痕跡が発見されており、明らかに文化的な変化が認められるということです。
これらの変化を裏付ける出来事にはいくつかの可能性がありますが、多くの研究者が共通して指摘している出来事が『騎馬民族』が日本にやってきたということです。
日本史の常識では、一般的に鎌倉時代の中期に起こった『元寇』が唯一の侵略を受けた出来事だと言われています。
しかし、もしも空白の4世紀に騎馬民族が訪れていたとしたら・・・
というよりも騎馬民族が訪れたという事実は、数々の証拠から間違いないでしょう。
それよりも問題なのは、それらの渡来した騎馬民族が、『侵略』を目的としていたのか?『移住』を目的にして大陸を渡ったのか?ということです。
当時の文化的な変化を見ると、明らかにそれまでの風習が失われたことから、一説には騎馬民族征服王朝説というものが存在しています。
これは、縄文時代の文化で生きていた邪馬台国などの倭国に、大陸から渡来した騎馬民族が侵略を仕掛けたことによって征服し、大和朝廷が作り上げられたという説です。
その一方で、日本に騎馬民族は渡来したものの、目的は侵略ではなく移住であり、当時の日本人と文化的に混じり合ったという主張もあります。
いずれの場合でも、馬や牛といった、邪馬台国の時代に存在していなかった動物が持ち込まれたことは確実であり、その後の日本に影響を与えたことは歴史的な事実であると言われています。
結果的に騎馬民族が渡来した事実は変わらなくとも、侵略されたことが史実であれば、日本の皇室や天皇家の歴史にヒビが入ることになります。
日本の天皇家は、世界で唯一万世一系を保っているというのが公式な歴史書である『古事記』や『日本書紀』の解釈です。
しかし、古代に騎馬民族によって日本が侵略されたという事実があれば、天孫降臨から続く天皇家の流れに疑問が浮かぶ可能性もあります。
宮内庁などをはじめとした権威性を保つ必要がある団体にとっては”知られてはいけない事実”というものが存在しているのかもしれません。
なぜなら、前回の記事でも紹介した仁徳天皇陵墓などの調査は『法律的な根拠がない』まま禁止されているとも言われているからです。
客観的な史料が残されていない以上は、新たな発掘や調査をしなければ、『空白の4世紀』の謎を解明することは不可能といえるでしょう。
騎馬民族が渡来したことによって日本の文化的な変化が起こったとされる証拠の1つとして、日本で作られた前方後円墳よりも年代の古い同様の陵墓が朝鮮半島から発見されているということが挙げられます。
また、それらの発見された墓の遺跡などには日本の遺跡で発見された埋葬品と同じようなものが出土品として発見されているそうです。
これらの共通点は騎馬民族の渡来を示す重要な証拠として語られるものですが、いまだに確実な繋がりを示す証拠がないことは、日本史の解明という点において、まだまだ未知の領域が存在しているとも言えるでしょう。
いわゆる『歴史のロマン』は、こういった解明のされていない時代に宿るものです。
魏志倭人伝によれば、倭国には邪馬台国が存在していたという記述が残っているものの、肝心の日本では邪馬台国について触れられた文献などが存在していないという事も、ある意味で歴史の不可思議な点だと言えるでしょう。
小学校でも歴史の授業で習う邪馬台国が、いまだに解明されていない歴史の謎であるという現実。
あなたはこの事実をどう受け止めるでしょうか?