被害池袋自動車暴走事故・・・痛ましい事故で計11人が死傷し、31歳の母親と3歳の子供が命を落としました。
運転していたのは飯塚浩三被告・・・事故当時87歳でした。飯塚浩三被告は足が悪く、医師らも運転を止められていたという中でも暴走事故に批判の声が高まります。
そして、飯塚浩三被告が元官僚でいわゆるエリートだったこと、逮捕されなかったことで「上級国民」などと呼ばれる事となりました。
飯塚浩三被告本人がバッシングされるのは事故の性質から見ても、予測できること。
ですが、SNSなどのコメントを見ていると「家族も同罪」などというちょっと行きすぎでは?というような意見も見られます。
家族だった運転を止めかったから同罪
家族にも責任とらせろ
ですが、本人がしたことは本人の責任であり家族に同じ罪を背負わせるのは、いささか感情がほとばしっている感も否めません。
飯塚浩三被告が逮捕されなかった理由は「逃亡のおそれがない」「証拠隠滅が物理的に不可能」という警察の判断によるものでした。
逮捕は、捜査でひとつであり刑罰ではないので「悪いことをしたのに逮捕されない」ことだけで「おかしい」といわけではありません。確かに、足が悪い87歳の高齢者が逃亡するおそれはほぼないでしょうし、証拠の車両や周辺のカメラの映像などを改ざんすることもできないでしょうから、証拠隠滅のおそれもない。
つまり、逮捕しなかった事は理屈では問題はないのです。実際に、この事件だけでなく在宅起訴されるケースほかにもあるわけですから、そのあたりは冷静な判断が必要です。
ただ、他の事故では高齢ドライバーでもその場で逮捕さけている事例が多く、そのあたりの不公平感があるのは否めません。
逮捕と刑罰を混同してしまうような状況を作り出したのは、なんでもとりあえず逮捕してやれ!という警察の逮捕体質にもあるかもしれません。
確かに、飯塚浩三被告の態度に「それはどうなのよ?」と思う方は多いはず。ましてや、被害者遺族であるご主人が気丈に振る舞い、とても紳士的にマスコミ対応にあたる姿を見るとますます心が締め付けられる思いになってしまいます。
「自分がしたことの責任は自分で取るべき」
これは当然のことです。
ただし、裁判においてたとえどのような被告でも「無罪を主張する」のは権利として認められており、飯塚浩三被告が「無罪を主張したこと」でバッシングするのはすべての被告に認められている権利を否定しているということでもあります。
無罪を主張することすら「許さない」とする人が大半なのにはもちろん理由があって
といったところでしょう
そのあたりの事実を裁判所がどう判断するのかは今から解ることですが、多数派の意見が強く、日本の刑事司法で認められている「無罪を主張権利」まで否定してしまう心理は少し怖い気もします。
もちろん、それぞれに意見はあることでしょう。
ですが、共通の敵のような存在になった被告であっても”人権”があることを否定してもいいという一種の集団心理を煽るマスコミの報道の仕方には少し恐怖を覚えてしまいます。
上級国民!
飯塚浩三被告を揶揄する言葉として使われていますが、そもそも国民に上級も下級もありません。
飯塚浩三被告のようないわゆるエリートが上級国民なのか、それとも例えば、子供を産み育て夫婦関係も良好で仕事もある・・・一般だけど幸せな家庭を築いている人が上級なのか・・・なにを「上」とするかは人によって違います。
逮捕されないから上級・・・なんとなくお金持ちだから上級・・・なのか。
特別待遇を受けているように見えるのは事実ですが、だからといってここまでバッシングする空気を作ったのは、マスコミの報道の在り方にも原因の一端があるのかもしれません。
飯塚浩三被告が批判されるのは致し方ないこと・・・ですが、感情ではなく理性的に「何が問題だったのか」を考えることで見えてくるものもあるかもしれません。