東海村臨界事故がヤバい!被曝の恐ろしさとは

1999年9月30日に、茨城県那珂郡東海村で”臨界事故”という事故が起きました。

事故を起こしたのは、株式会社ジェー・シー・オーという会社で、起こった場所は”核燃料加工施設”でした。日本国内で初めて、事故被曝で命を落とした人がいたこの事故・・・。もう知らないという世代の方もいらっしゃるかもしれませんが、めちゃくちゃヤバイ事故だったんです。

事故を起こした株式会社ジェー・シー・オーはどんな会社?

臨界事故を起こした株式会社ジェー・シー・オーは、住友金属鉱山の子会社で核燃料加工施設を持っていました。原子力発電用に使用するための核燃料の中間にあたる行程を請け負う会社だったので、核燃料施設を持っていたんです。

そして、事故はこの施設内で起こりました。

臨界事故ってそもそもなに?

株式会社ジェー・シー・オーが起こした臨界事故・・・臨界というのは、原子炉の中で核分裂の連鎖反応が継続している状態を言います。

核分裂反応が継続しているということは、放射線が出ているということ。もちろん、ちゃんとコントロールされた施設内で安全に行われていれば問題ないのですが、東海村臨界事故ではこの臨界の状態が20時間持続して、至近距離でとんでもない量の放射線を浴びた作業員が亡くなりました。

ずさんすぎる裏マニュアル

なぜ臨界事故が起こってしまったのか・・・ちゃんとマニュアル通りに作業していれば安全だったのです。

ですが、当時のJCOには「裏マニュアル」なるものが存在してしました。そして、この作業員は裏マニュアルに沿って作業をしていたのです。

その裏マニュアルでは、ステンレス製のバケツでウラン化合物の粉末を溶解させていました。正しいマニュアルでは、「溶解塔」という特別な装置を使うべきところをバケツ!

その上で事故当時は、この裏マニュアルとも違う作業が行われました。硝酸ウラニル溶液の濃度を均一にする作業のときに臨界になりづらい形のものを使用するべきところを、そうではないものを使ってしまった・・・。その結果、溶液が臨界状態となり事故が発生したのです。

このとき、作業をしていた作業員は、青い光を見たと証言しています。

大量の中性子線を浴びた作業員の闘病生活

バケツで作業をしていた3名の作業員は、大量の中性子線を浴びます。

最も被曝量が多かった作業員は推定16 – 20シーベルト以上・・・。

他にも、近隣住民や臨界を終了させるために現場に入った作業員や消防隊員も最大120ミリシーベルト程度の被曝しました。

16 – 20シーベルト以上の被曝をした作業員は、染色体が完全に破壊されてしまい新しい細胞を作ることができない状態でした。そして、放射線の障害で皮膚の形成もできなくなります。

皮膚が徐々にただれたようになり、体液が皮膚から漏れてしまいます。新しい皮膚が作られないので皮膚がただれても回復することはありません。そして、治療として皮膚移植や造血幹細胞の移植の行われましたが、一時的な回復にとどまり症状はどんどん悪化していきます。

地獄のような死への道のり・・・治療は続けられますが、全身の皮膚がなくなって再生されない。皮膚がないので定期的に消毒が行われますが、この消毒もまた地獄。息を引き取るまでの間にどれだけの痛みや苦しみがあったことでしょう。想像することもできませんが、人の身体の深部を破壊する被曝は本当に恐ろしいものなのです。

 

もう完治は難しいだろうという中での闘病・・・。そして、壮絶な83日を経て亡くなりました。

治療に当たった看護師さんは「この世の地獄」とこの治療を表現しています。

 

参考資料:Wikipedia

安楽死という選択はなかったのか

大量の中性子線を浴びて、現在の医療では命を助けることは難しいという中で、83日もの間苦しみを伴う治療を受けた作業員・・・。耐えがたい苦痛の中で命を削っていくことが解っていながらも、安楽死が認められていない日本では治療をするしかなかいのです。

作業員は「もうやめてくれ」「おれはモルモットじゃない」

という言葉を残していたといいます。それでも治療は続けられた・・・。

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このような場合はに、本人が「やめてくれ」といっている治療を続けることが果たして本当に正しいことなのか・・・。治療の一部として痛みを緩和して楽にしてあげるというケアや耐えがたい苦痛を感じることなく最期を迎える選択肢がこの場合にはあっても良かったのではないかと議論されました。

 

自ら自分の命を絶つ自死は肯定されませんが、回復が見込めず耐えがたい苦痛の中での死がほぼ明確である場合に、本人が自分の死に方を選択するという自由はあっても良いのではないかと考えさせられる事故でもありました。

 

まとめ

東海村臨界事故ではずさんな裏マニュアルと作業が原因で臨界事故が起こり、大量の中性子線を浴びた作業員2名が命を落としました。回復が見込めない中で、耐えがたい苦痛を伴う治療を続けられて亡くなった35才の作業員は「もうやめてくれ」と言っていたそうです。

原子力の取り扱いが注目されがちな事故ですが、ターミナルケアや緩和ケアといった治療の在り方についても考えさせられる事故でした。

 

参考資料:JCO臨界事故で亡くなった大内さん。全身の皮膚がむけ・・治療に当たった看護婦『この世の生き地獄だった』

      Wikipedia