【民俗学で読み解く】邪馬台国から大和朝廷、倭国から日本へ:まとめ
中国南方の長江文明からやってきた渡来系弥生人、九州にあった邪馬台国、天孫族のクーデターによって畿内へ東遷した大和朝廷……卑弥呼の怨霊を恐れた天武天皇と持統天皇による天照大御神の祭祀と宇佐神宮の保護……祭祀王「天皇」と律令国家「日本」の誕生。古代日本のあらゆる謎を、民俗学の方法論で解き明かします!
中国南方の長江文明からやってきた渡来系弥生人、九州にあった邪馬台国、天孫族のクーデターによって畿内へ東遷した大和朝廷……卑弥呼の怨霊を恐れた天武天皇と持統天皇による天照大御神の祭祀と宇佐神宮の保護……祭祀王「天皇」と律令国家「日本」の誕生。古代日本のあらゆる謎を、民俗学の方法論で解き明かします!
天皇家の本来の先祖神はタカミムスビでした。現在のように天照大御神が日本神話の最高神・天皇家の先祖神と考えられるようになったのは、天武天皇と持統天皇の政策です。それは卑弥呼=天照大御神の怨霊を鎮魂するためでした。『古事記』も天照大御神の鎮魂書だったのです!
九州山門にあった邪馬台国。しかし天皇家の先祖である「天孫族」がクーデターを起こし、大和朝廷を開きました。邪馬台国東遷と神武東征の理由はこの天孫族のクーデターです。なぜ邪馬台国と大和朝廷に文化的な違いがあるのか?なぜ天照大御神は天皇家の先祖神になったのか?民俗学の視点ですべてを解説!
大分県の宇佐神宮は八幡宮の総本社です。実は古代には二所宗廟と呼ばれ、あの伊勢神宮より格上だったとか、邪馬台国の場所で地下には卑弥呼の墓があるとか、真の主祭神「比売大神」の正体がいまだに不明とか、はたまた天皇家のルーツがあるとか……怪しい謎が満載なんです!
邪馬台国はどこにあったのか? 歴史学者は九州にあるといい、考古学者は畿内(近畿)にあるという。この矛盾を解決するのが「邪馬台国東遷説」です。今回は文献や考古学のデータに加え、地名学や音韻学、神話学、民俗学の視点から邪馬台国東遷説の根拠や問題点を徹底解説。邪馬台国は筑後山門にアリ?
邪馬台国といえば古代日本最大の謎とされています。日本人のルーツから邪馬台国、そして大和朝廷までの古代日本をメタ視点と民俗学の方法論で読み解く連載第1回。天照大御神のモデルは卑弥呼という説があります。その10の根拠と説の問題点を検討していきます。
前回の記事では古代日本に『空白の4世紀』と呼ばれる期間があり、それらの時代に文化的にも大きな変化があったことを紹介しました。 1つは魏志倭人伝において邪馬台国の存在していた時期には『馬や牛』などが存在していなかったこと。 そして、邪馬台国が時代から消えると共に、馬の存在していた痕跡が発見されており、明らかに文化的な変化が認められるということです。 これらの変化を裏付ける出来事にはいくつかの可能性がありますが、多くの研究者が指摘しているのが『騎馬民族』が日本にやってきたということです。
現代では日本に王様という概念がないため最高権力者に近い方はいますが、王様と言える人は存在していません。 しかし過去には日本でも王様といえる人が存在しておりその初代が邪馬台国を収めていた「卑弥呼」と言われています。
日本の古代史には、今もってタブー視されており調査そのものが現実的に難しい時代があると言われている。 それは卑弥呼が統治していた邪馬台国があったとされている、およそ3世紀から4世紀にかけての日本統治の政権交代時期であり、大和朝廷の成り立ちがあったとされている時代であり、弥生文化が縄文文化に移り変わった頃だ。