アメリカ史上最悪の連続殺人犯の1人として知られている「ロドニー・アルカラ」。

ロドニーはニューヨーク州の最高裁判所にて42年前と36年有罪判決を受けたのです。

後ほど詳しく紹介しますが、ロドニーはアマチュアのカメラマンとして活動し、モデルになってもらった女性に対して性的暴行を加え殺害していたのです。

今回の記事ではそんなIQを悪用した天才殺人鬼「ロドニー・アルカラ」について紹介していきたいと思います。

ロドニー・アルカラの生い立ち

1943年8月23日、テキサス州サンアントニオに「ロドニー・アルカラ」は生まれます。

幼い頃、父親は家を出て行ってしまい、女手一つでロドニーと姉妹たちを育てていました。

ロドニーが12歳の頃に一家はロサンゼルスに移住します。

17歳になったロドニーは軍隊に入隊し陸軍書記として従事していました。

しかし、21歳になった時に神経衰弱を発症してしまい、陸軍病院にて診療を受けた結果「反社会性人格」だと判断され、軍を除隊されられてしまったのです。

軍を除隊させられた後の「ロドニー」

軍をやめてしまったロドニーは家のあるロサンゼルスに戻り、UCLA(カリフォルニア州大学ロサンゼルス校)に入学します。

ロドニーは、頭もよく成績優秀者であったため教授たちからも評価が高かったそうです。

順調に単位を取得していき、25歳にして美術学士を取得するのです。

この時、ロドニーのIQは160もあったそうです。

IQについて

日本の平均は100前後

100超えは人口の10%にも満たない

そして、UCLAを卒業したロドニーはついに、悪魔的な行動を始めるのです。

狂ってる!怖すぎる犯行内容とは?

大学を卒業した後のロドニーは恐ろしい行動に出るのです。

少女リタ・シャピロ(当時8歳)が学校に向かっている最中にロドニーが車で通りかかり、彼女を車にくくり付け引きずりまわしたのです

そして、自分のアパートへ連れ込み強姦したのです。

ロドニーがシャピロを誘拐するところを他人によって目撃されており、すぐに警察がアパートへ駆け付けます。

扉を開けると血だらけで横たわる瀕死状態のシャピロの姿がありました。

シャピロは重い金属棒(4.5キロ)で頭部を殴られ、首に棒を押し付けられ窒息寸前だったそうです。

あまりの事件現場の悲惨さに警察官も絶句するレベルだったそうです。

警察官はシャピロを救出することに必死になっている所、ロドニーは隙を見て逃走します。

警察官はその後、ロドニーの部屋から大量の若い女性の写真を見つけたのです。

指名手配されたロドニー

警察官はすぐにロドニーを指名手配し、行方を追います。

警察は州を跨いで犯行をするに違いないと確信しFBIに報告したのです。

1969年、FBIはロドニーを「Ten Most Wanted(10大重要指名手配犯)」に指定されます。

この頃、ロドニーはニューヨークに移住し「ジョン・バーガー」という偽名を名乗っていました。

ロドニーは再び「ニューヨーク大学のフィルムスクール」に入学します。

FBIなどから重要指名手配されていたのにもかかわらず、ロドニーは大学ライフとアマチュア写真家として活動していたのです。

1971年の夏には、女子学生のみの演劇サマーキャンプにスタッフとして参加し、キャンプに参加していた女子学生がロドニーに気付き警察に通報します。

3年間逃げ続けていたロドニーは逮捕されたのでした。

逮捕されたが、たった3年で刑務所をでた。

また、同年にマンハッタンのマンションで航空会社のスチュワーデスが強姦し殺害されるという事件が起こりました。

この犯行はロドニーによる可能性が高いと考えられていますが、証拠不十分であるため起訴できませんでした。

1971年の8月にロドニーはジャピロへの殺人未遂と強姦致死罪、誘拐罪、幼児性的虐待で起訴されます。

補足情報

被害者のシャピロの一家は、病院退院後アメリカが嫌いになりメキシコに移住したんだとか。

そこから消息がわかっていない

ロドニーは不定期刑に処されたのですが、看守や精神科医たちに媚びを売りたった3年で刑務所から出ることができたのです。

1974年バス停にいた13歳の少女に「学校まで送ってあげる」と声をかけ、無理やりビーチに連れていきマリファナを吸わせ、キスをしたため「保釈期間中の違反行為」として逮捕されました。

再び釈放、そして犯行

ロドニーは2年過ごして仮釈放されたのです。仮釈放後はニューヨークに戻り、過ごしていました。

戻ってまもない頃、1977年11月、家出していた18歳のジルバーコムを言葉巧みに誘い込み強姦の末殺害します。

死体はハリウッドの近くの山に捨てました。

顔と頭を石で殴ってめちゃくちゃにし、ベルトとストッキング、ズボンを使い3回に分けて首を締めたのです。

翌月、ロドニーは看護師のジョージア・ウィックステッドをマンション内で強姦し殺害

ハンマーで頭を殴り、ストッキングで絞殺し、陰部を切り取った上全裸でバスルームに放置します。

翌日ロドニーは何食わぬ顔で「The Dathing Game」というテレビ番組に出演するのです。

1978年6月法律秘書のシャーロット・ラムをマンション内で強姦し、殴打した上靴紐で絞殺し死体を放置します。

1979年、ヒッチハイクをしていたモニークという名の少女を広いマンションに連れ込み合意のもと性行為に至ります。

翌日山へ連れていき、写真撮影をしていた時に突然モニークが嫌がり出したことに逆上し殴打後に強姦。

ロドニーはモニークに思いを寄せていたため殺さずにヒッチハイクをしていた場所に戻したのです。

3度目〜4度目の逮捕

モニークはその後、直ちに警察に通報しロドニーは逮捕されます。

しかし、母親が保釈金を払ったことですぐに釈放されます。

同年6月、ジルという女性のマンションに押し入り、強姦し殴打した上ストッキングで締め殺します

この時ロドニーも怪我をしてしまい、現場にはロドニーの血が残っていました。

同年6月ビーチにてロビンという少女に「写真を撮らせてほしい」と声をかけます。

殺害されたところを発見されます。

発見が遅くなってしまったため強姦された証拠が残っていませんでした。

ロサンゼルスに戻ったロドニーはすぐに逮捕され起訴されます。

ロドニーは「ビーチには行っていない」と証言します。

交際していたとされる女性がいたのですが、おそらくこの女性は自分が殺人鬼であることを隠すためのカモフラージュだと思われているのです。

1980年ロビン殺害の裁判が始まり、ロドニーに死刑が下されました。

まとめ

しかし、その後「裁判は公平なものではなかった」と死刑判決が覆されたのです。

何度が再審され、死刑判決が下されるが再び覆されるとこの繰り返しでした。

そんなこともありロドニーは本を出版します。「you the jury」

捜査官は最新の科学捜査技術を駆使し、それぞれの事件の遺留品からロドニーのDNAを発見します。

ロビン殺しの裁判に加え3人の女性を強姦殺害した罪が追加されました。

この時、ロドニーは弁護士を雇うのではなく自分で自分を弁護したのです。

その後、裁判は続けられ様々な討論が行われました。

そして、2012年、裁判で終身刑の判決を受けたのです。