古文書に記された秦伊侶具【連載:秦氏と稲荷信仰の謎に迫る】第3話
神社仏閣の建立を以前に紹介しましたが単純に建立だけに関わっただけではなく、その信仰を広めたとされるものがあります。「秦伊侶具」という人であり、その功績を記しているのが逸文などに残っている「山城国風土記」という奈良時代のはじめに元明天皇によって各地の風土記を編纂したものだと言われています。
神社仏閣の建立を以前に紹介しましたが単純に建立だけに関わっただけではなく、その信仰を広めたとされるものがあります。「秦伊侶具」という人であり、その功績を記しているのが逸文などに残っている「山城国風土記」という奈良時代のはじめに元明天皇によって各地の風土記を編纂したものだと言われています。
秦氏の出自を調べるとおそらく目にする機会の多い説の1つですが「秦氏とは中国、秦の始皇帝の配下だった徐福であった」というものです。 出典は中国の歴史書である「史記」になります。
古代には渡来人と呼ばれる人たちがいました。日本の文化には海外から伝わった後に広がったものが数多くあります。そんな文化を持って海外から日本へ渡ってきた人たちは「渡来人」として歴史書の僅かな部分に史料として登場します。そんな渡来人の一族の1つが「秦氏」と呼ばれる家系です。
バナーイラスト:どらしえる このページではオカルトオンラインで過去に紹介した「秦氏の謎」についての記事をまとめています。 その昔、大陸から日本に来た渡来人の中でも最も謎に包まれているのが「秦氏」の一族です。 日本書紀の中...
秦氏の出自の候補について紹介した記事の中で ・渡来人秦氏のルーツ説の1つは秦国の王朝時代の人間や秦国の末裔だった
未だに彼らの正体に関するルーツや出自に関しては確定的なものはありませんが、少なくとも秦氏の渡来によって日本はそれまでの文化から大きく進歩を遂げたことは間違いありません。日本において時の権力者と親交があったにも関わらず、歴史の表舞台にほとんど立たないというのはやはり何かしらの原因があるのでしょうか。
社記によって京都の伏見稲荷は秦氏の一族である秦伊呂具によって起こったものであることは現代にも伝わっていますが、「稲荷信仰」は実は1つだけではありません。