自衛隊員といえば過酷な訓練に耐え、被災地や戦地で戦う、肉体・精神ともに屈強な人たちです。そんな自衛隊員も恐れをなすのが「幽霊」です。
人の生き死にに触れることが多いので、霊感が発達するという話も聞きますが、もちろん中には「幽霊なんて信じていない」という人もいます。しかし、そんな信じないという人でさえ、「硫黄島(いおうとう)」ではナニカを感じるといいます。
硫黄島は小笠原諸島の南端に位置する島で、第二次世界大戦・太平洋戦線の最激戦地の1つです。いわゆる「硫黄島の戦い」では2万4000人以上の死者(日本軍だけで22000人ほど)が出ており、戦争から70年たった今でも大量の人骨が埋まったままになっているといいます。
硫黄島は現在、民間開放はされておらず、一般人の立ち入りは禁止されています。その理由は、とにかく「出る」からです。
そのため、硫黄島には霊を遠ざけるいくつかの特殊なルールがあるとか。今回は現役自衛隊員が体験した、硫黄島の怖い話・心霊体験を厳選して5つ集めました。
硫黄島が民間開放されない本当の理由
戦後70年が経った現在でも、硫黄島は民間開放されていません。その理由は公式には、自衛隊の軍事基地であり、米軍と共同訓練をすることもあるから……とされています。
しかしそれは表の理由で、本当は別の理由があると昔からまことしやかに語られている噂があります。とにかく、おびただしい量の「幽霊」が出るというのです。
というのも実際に多くの自衛隊員が心霊現象を体験しており、屈強な自衛隊員の中にも硫黄島でだけは訓練をしたくない、とおびえる者が後を絶たないからなんです。
その理由はなんといっても死者の多さです。硫黄島の戦いでは2万4000人以上の死者が出ており、遺骨のほとんどは取りだされずに、埋もれたままになっています。地面を掘ると必ず骨が出る、といわれるほどです。
だからでしょうか。霊といったら古今東西女性が多いのですが、硫黄島では黒焦げの兵隊の幽霊が現れるといいます。
現在でも定期的に追悼式が行われており、総理大臣が出席することもあります。
硫黄島では自衛隊も米軍も小銃の携帯が禁止されている
島に駐在する自衛隊員や米軍兵の間では、小銃を持ち歩くことが禁止されているといいます。
その理由は、心霊体験に遭った隊員がパニックになって銃を誤射する事故が何度もあったからだとか。
幽霊を信じていないという自衛隊でも、硫黄島では「あつい」「水をくれ」といった苦しそうな声や、「お母ちゃん。会いてえよ」「早く村に帰りてえ」などの無念の言葉を聞いてしまうといいます。
同じセリフを仲間も聞いていたので、最初は寝言かと思ったそうですが、現在の隊員から「村」という言葉がでるとは思えませんよね……。
硫黄島の砂・石を持ち帰ってはいけない
自衛隊には「硫黄島の砂や石を持ち帰ってはいけない」という規則があるといいます。
硫黄島での勤務や訓練を終えた自衛隊員たちは、本土へ帰還するとき、靴の裏についた砂粒を1つのこらず落とすように指示されるのです。
あるとき、気に入らない先輩に規則違反をさせるために、砂の入った小瓶を鞄に入れるというイタズラをした隊員がいました。
砂のことはバレなかったようですが、数ヶ月後、その先輩隊員は事故で怪我を負ってしまいます。さらに先輩がいうには、硫黄島から帰ってから、兵士の霊が夜な夜な枕元に立ち悪夢に悩まされたといか。
また他の隊員は、こっそり硫黄島にあった石を記念に持ち帰りました。しかしその後、その隊員は言動がおかしくなり、ついに行方不明に。数カ月後、とある洞窟から死体で発見されたといいます。
硫黄島の砂や石を持ち帰ることは、戦死者の骨を拾うのと同じことなのかもしれません。
寝るときには水を入れたコップを供えなければならない
硫黄島での勤務には、他にも変わったルールがあります。夜寝る前に必ず、水を入れたコップを部屋の入口に供えるというルールです。
とある隊員は、酔っぱらって水を供えることなく眠りについてしまいました。すると夜中に廊下からうめき声のようなものが聞こえ、目を覚ましました。
誰かのいたずらかと思い、隊員は戸を開けたのですが……そこには、血みまれになった旧日本兵の姿が。
「水……水をくれ……」と苦しそうにつぶやく霊を見て、隊員は水を供えることを忘れていたのを思い出しました。あわててお茶をコップに入れて廊下に置き、戸を閉めて震えながら朝を待ったといいます。
硫黄島には川がまったくありません。
真水が取れる場所は1か所しかなかったのですが、一時、その水場を米軍に占領されてしまい、水の補給が困難となりました。水不足で苦しみながら死んだ者や、米軍の火炎放射器で焼かれて死んでいった者が大量にいたのです。
そのせいでしょうか。硫黄島では今でも、水を求める兵士の霊が夜な夜な徘徊しているといいます。
お供え物のタバコに触ってはいけない
とある自衛隊員の体験談です。
まだ若く、硫黄島に到着したばかりだったこともあり、その隊員は戦死者や霊といったものを軽く見ていました。だからつい、お供え物として置かれてあったタバコを1本、くすねてしまったのです。
その夜、隊員は恐ろしい体験をしました。
寝ていたら急に胸のあたりが苦しくなり、目が覚めました。すると軍服姿の兵士が身体の上にまたがって恐ろしい顔をしているではありませんか。兵士は「俺のタバコを返せ!」と叫んで口の中に手を突っ込んできたといいます。
女もいなければ娯楽もない戦地では、タバコは唯一の慰めだったのでしょう。
その隊員は、今では戦没者への敬意を欠かさないといいます。
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