鎖塚
19世紀後半、1000人以上もの作業員を集め網走から北見峠を繋ぐ道路の開拓工事がおこなされた。網走監獄の囚人も含まれていたと言われる。160kmにものぼる距離は苛酷で、労働は深夜にまで及び、完成までに7か月を要したと言われる。苛酷な労働により倒れた作業員を埋葬した場所がこの鎖塚であると言われる。力尽きた囚人の鎖はそのあたりに投げ出されていたこともあり、そこから鎖塚と呼ばれるようになった。今でも当時の多数の恨みや現世への未練が心霊現象を引き起こしているとでも言うのだろうか。
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