皆さんは幽霊船の話を聞いたことがありますか?
今回紹介する「メアリー・セレスト号」は乗員が謎の失踪を遂げた事件です。
この事件以降、この船は「実在した幽霊船」と言われるようになりました。
今回の記事ではそんな「メアリー・セレスト号」について詳しく解説していきたいと思います。
1861年に建造された帆船です。
建造当初は「アマゾン号」と名付けられていましたが、何度か所有者が変わったため最終的には「メアリー・セレスト号」という名前に決まったのです。
全長約31メートル、重さ282トン、マスト2本の当時ではありふれた船でした。
1872年(17世紀)のポルトガル沖にとある帆船が漂流しているところを別の船に発見されます。
その船こそが今回の事件に合った「メアリー・セレスト号」です。
発見時、乗っているはずの乗員の姿が誰1人と見当たらなかったのです。
しかし、発見時の船内の様子はまるでついさっきまで船員がくつろいでいた後のような様子だったのです。
船は破損している様子はなく十分に航行できる状態だったそうです。
これらの謎はいまだに謎のままなのです。
メアリー・セレスト号は装備は正常な状態であったのにも関わらず無人だったのです。
調査を進めていくうちに以下のようなことがわかりました。
・食べかけの「ゆで卵」「ベーコン」「パン」が乗った皿が並べられたテーブル
・湯気を立てるコーヒー
・さっきまで髭剃りをしていた痕跡が残る洗面所
・救命ボートを使用しようとした痕跡はなし
・積荷や食料、船員の私物が荒らされた形跡はなし
あたかも、突然乗組員だけが消えてしまったかのような状態だったそうです。
船長室には航海日誌が残されていました。
日付は12月4日付、船が発見される1日前でした。
内容は以下の通りです。
・「12月4日、我妻マリーが・・・」と走り書きされていました。
さらに、このようなことが発見されました。
・ベッドの下から血のついた刃物
・船内の手すりに3つの血痕
・壁には謎の引っ掻き傷
このような状況から、何者かによって襲撃を受けた可能性が浮上しました。
しかし、積荷などに被害が及んでいないことを考えると可能性が低いと考えられました。
このメアリー・セレスト号事件の最大の謎は、11人の乗組員が忽然と姿を消したことなのです。
なぜ、彼らは姿を消してしまったのでしょうか?
この事件が起きてから100年以上が立っていますが、今でも様々な憶測がなされているのです。
血のついた刃物や血痕が見つかったことから、海賊による船の襲撃説が唱えられました。
しかし、海賊なら積荷や金目のものを目的として襲撃するはずです。
ですが、メアリーセレスト号の積荷や乗員の私物などには手がつけられていなかったのです。
それだけではなく、当時総額8万ドル相当の工業用アルコールが船倉に残されていたことから海賊説は完全否定されたそうです。
竜巻や地震による津波によって乗組員が外に放り出されたか、パニックになり船を放棄した説が考えられました。
しかし、もしこのような自然災害が船を襲ったとしたら、船の損傷が確認されるはずです。
メアリー・セレスト号では船の損傷が一切発見されなかったのです。
そのため、この説は信憑性が低いと言われています。
乗組員の間で何らかのトラブルがおき暴動が発生したという説です。
しかし、逃げ出すための救命ボートがその場に残されていたことを考えると可能性は低いと考えられます。
当時の彼らを知る人は「そんな人たちではなかった」と否定しているようです。
麦角菌に汚染されたパンを食べて乗組員が幻覚作用を起こして海に飛び込んだという説です。
当時、この船を調査した人物がメアリー・セレスト号に残されたパンを食したが全く問題はなかったそうです。
それに、1〜2人が幻覚作用を起こして海に飛び込むことは考えられますが、乗組員全員が幻覚作用を起こして海に飛び込むというのは考えづらいのではないでしょうか?
オカルト好きなら必ず知っていると思われる「魔の三角海域」に飲み込まれてしまったのではないかという説です。
最も有力視されている説です。
先ほど紹介したように、この船は工業用アルコールを積んでいました。
しかし、メアリー・セレスト号の船長は危険物運搬の経験がなかったそうです。
そこに船倉を開いた瞬間にアルコール臭と霧が噴出したため、「船が爆発!?」とパニックに陥ったという説です。
いかがだったでしょうか?
この事件は数100年経つ今になっても語りづがれている「幽霊船伝説」です。
もしかしたら、船の船員は今もなお海を彷徨っているのかも知れませんね?