耳が聞こえない理由とは?福岡県の菊姫伝説に迫る!

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世界遺産登録された宗像大社や沖ノ島があることで全国的に知られている福岡県の宗像市という田舎町があります。

今では福岡市のベッドタウンとして発展しているのどかな場所ですが、この地域の山沿いには、恐ろしい逸話とともに語り継がれている「菊姫」という姫の伝説があるのです。

公開日:2019年9月7日 更新日:2020年1月12日

菊姫は実在の人物だった

菊姫は、戦国時代に生を受けたひとりの女性です。

今の福岡宗像市のあたりを当時収めていた有力者の第76代宗像大宮司の宗像正氏と正室との間の一人娘でした。菊姫が生まれた時代は戦国時代で、家督争いや殺し合いなどが日常茶飯事で、裏切りなども後を絶たない戦乱の世だったことは言うまでもありません。

その当時の宗像氏は山陽地方の有力武将大内氏に属する一族でした。

そして、菊姫は14歳で結婚し、当時としては順風満帆な日々を送っている…ハズだったのです。

ですが、菊姫が生を受けた宗像氏の家に突如として家督争いが起こることになってしまいます。家督争いといえば、現代で言えば遺産相続争いのようなものです。

世は戦乱…かかっているのはお金や財産だけでなく、自分や家族、そして、部下の生活と命ということも決して珍しいことではありませんでした。

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そして、宗像氏一族の家督争いもまた、壮絶な殺し合いに発展してしまうことになります。家督争いに破れた千代松とその父は、英彦山まで逃げたところで討たれてしまいます。宗像市は福岡県の海沿いに位置しており、英彦山は福岡県と大分県の県境…距離は100キロ近くあったことでしょう。

それほどまでに執拗にライバルの命を狙った家督争いだったのです。

悲しいことに、この家督争いに菊姫とその周りも巻き込まれてしまいます。そして、天文21年3月23日のこと、山田の館という山間の家に逃げていた、菊姫と母、そして付き添っていた侍女が次々と討たれてしまいます。殺されたのはすべて女性…それも武装していなかったといわれています。この時、山田の館は血の海と化しひどい惨劇だったそうです。

殺し合いが決して珍しくない当時でも、闘う意思がない女性と侍女を惨殺するというケースは極めて珍しかったと言われています。そして、殺された菊姫たちの遺体は崖から捨てられてしまったのです。この事件は、戦乱のさなかでも驚きとともに受け止められたそうです。

この、宗像氏の一連の家督相続に関する争いは宗像騒動あるいは山田事件として知られています。

戦国といえば、華麗な武将の活躍が描かれることが多い時代ですが、こんな惨劇があったのです。

菊姫の逃げ道を教えてしまった

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家督争いに巻き込まれてしまい、悲惨な最後を遂げた菊姫ですが、この事件後、菊姫の死やこの家督騒動に関わった人が次々と怪死するようになったそうです。

そして…実は地元で知られている奇妙な伝説があるのです。

菊姫が殺されてしまう直前のこと、菊姫は侍女とともに命を狙う追手から必死で逃げていました。

山の奥にある山田の館を目指して必死で息を殺して走っていたことでしょう。

菊姫の道筋には、一軒の民家があったそうです。その民家には人が住んでいて、逃げるところを見られた菊姫の一行は「追手が来ていて見つかったら殺されてしまうから、どうか私たちがここを通ったことは誰にも言わないで欲しい」と頼んだそうです。家人は何もいわず頷いたそう…。

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ですが、その家人は、やがて来た追手に菊姫が逃げた方向を指さして教えてしまいます。そして、菊姫は追手にとらわれて殺されてしまった…。

そして、その一軒家の末裔は今でも宗像のどこかにひっそりと住んでいるそうですが、その家の血を引く者は耳が不自由になると言われているのです。

だまって指を指した当時から、もともと耳が不自由な人がいるお家だったのか…はたまた菊姫の呪いなのか…この伝説が本当なのかも今となっては調べるすべはありません。

ただ、地元では菊姫の伝説のひとつとして今でも語り継がれているのは事実です。

山田地蔵尊で今でも供養されている

実際に、菊姫が惨殺された後、怪死する者、心を病んでしまう者、病に倒れる者、戦死するものなどが多く、決していいことがなかったそうです。あまりの事に恐怖を感じた一族は、”鍋伏せの呪法”という方法で菊姫の呪いをなんとか封じ込めようとしたそうです。その時に作ったのが山田地蔵尊だと言われています。

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この鍋伏せという方法は、その名の通り「怨霊の原因とされる人か葬られた墓石の上に鍋を被せる」という方法なのですが、この時、菊姫の墓石に被せた鍋が何度も何度もバラバラに砕けてしまったというのです。

鍋と言えば、鉄などの金属や硬い土器で作られますから、墓石に被せただけでバラバラになることはまずありません。そして、この鍋伏せで使用されてバラバラなった鍋の破片は今でも、山田地蔵尊に保管されていると言われています。

今から約480年あまり前に、壮絶な最後を遂げた菊姫のことを知っている近隣の住民によって守られてきた山田地蔵尊は、今でも、宗像の山田地区にあります。そして、今も山田地蔵尊では菊姫と母、その侍女は静かに祭られているのです。

殺し合いが日常茶飯事だった戦国時代でさえ、驚きをもって受け取められた菊姫一行の惨殺事件…菊姫は家督を争うつもりもないのに追手を差し向けられ、そして、殺されてしまうのですから、どんなにやりきれない思いだったことでしょうか。

まとめ

家督争いに巻き込まれて壮絶な最後を溶けだ悲劇の菊姫は、今でも福岡県宗像市で供養され続けています。

伝説となった姫ですが、命を狙われてもなお、自ら武装することなくただ逃げようとしていたことを見ても、とても温厚な人物だったのかもしれません。

戦国時代の家督争い

現在の我々にはあまり想像することが難しいですが、戦国時代の多くの武将は外部だけではなく、内部にも多くの敵が存在していたことは有名です。

例えば、有名な織田信長なども最初から尾張を全て手中にしていたのではなく、家督争いをした結果、織田家の当主としてその後の天下布武への足がかりとしました。

菊姫もそんな戦乱の中に生まれて散った悲劇の人物だったのではないでしょうか?

実は日本昔話の中にも菊姫が紹介されているお話があります。

同様の人物かどうかは定かではありませんが、こちらのお話ではなんとヤマンバになったのだとか・・・