15~16世紀のイタリアで活躍し「万能の天才」と称される人物、レオナルド・ダ・ヴィンチ。
そんな「天才」というイメージや、『モナ・リザ』を始めとする有名な絵画を描いた画家の印象が強いレオナルドですが、この連載では「レオナルド・ダ・ヴィンチの素顔」に迫るべく、彼の少年時代から晩年までを、彼が制作した絵画を通してご紹介しています。
連載の第6回からは、レオナルド・ダ・ヴィンチの全盛期とされる「ミラノ時代」を紹介しており、今回解説する『最後の晩餐』も、ミラノに滞在していた時に描かれた作品です。
誰もが一度は見たことのある『最後の晩餐』とは、そもそもどういう作品なのか?
なぜ傑作と称されているのか?
この絵画に秘められた魅力を、分かりやすくご紹介していきます。
知っているようでよく知らない『最後の晩餐』とは?
『モナ・リザ』と並ぶレオナルド・ダ・ヴィンチの最高傑作とされる、『最後の晩餐』。
この絵画を目にしたことはあっても、その実際をよく知らない方も多いのではないでしょうか?
『最後の晩餐』は、キリスト教の新約聖書の、
- マタイによる福音書、26章
- ヨハネによる福音書、13章
などに記載されている、イエス・キリスト(絵画の中心にいる人物)と12使徒(イエスの弟子たち)の、最後の晩餐を題材にした作品です。
レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』は、「12使徒の中の一人が、私を裏切る」と予言したイエスと、その予言に様々な反応を見せる12使徒の情景が切り取られています。
この後、12使徒の一人であるイスカリオテのユダが、金品を目当てにイエスの身柄を引き渡してしまいます。
彼一人だけ顔が日陰になっており、裏切り者だとひと目で分かるようになっています。
ユダの右手をよく見てみると、引き渡しの見返りである銀貨30枚が入った(ように見える)小袋を握っているのが分かりますね。
最後である理由
この晩餐が「最後」である理由は、この翌日にイエスが逮捕されてしまうため(イエス・キリストにとっての最後の晩餐)であり、また12使徒にとってもイエスとの最後の晩餐となったためでもあります。
新約聖書の中でも重要なワンシーンであり、これまでこの最後の晩餐は様々な画家によって描かれてきましたが、芸術作品として最も有名なものがレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』であり、「最後の晩餐と言えばレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた作品」というイメージが一般化しています。
セオファニス作『機密制定の晩餐』(最後の晩餐)
ジョット・ディ・ボンドーネ作『最後の晩餐』
ちなみに『最後の晩餐』に描かれている13人は、全員ミラノで見かけた人物がモデルになっています。
例えば裏切り者のユダの場合は、その卑しさが顔に現れているようなモデルを1年以上も探し続けていたそうです。
わたしは一年以上も毎日、朝から晩までボルゲットに出向いている。そこは下賤で卑しい者たちが暮らす場所で、大半は悪党である。そこに、あの悪党にピッタリの顔がないかを探すために、ただそれだけのために、わたしは毎日、出向いている。
引用:『レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密 天才の挫折と輝き』
まるでドラマや映画にはまり役をキャスティングするかのように、実在のミラノ市民を12使徒に当てはめたことで、レオナルドの『最後の晩餐』からは生き生きとした人間味が感じられます。
構図
レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の革新的な部分は、その「構図」にあります。
他の画家が描く最後の晩餐は、イエスと12使徒を円卓に座らせましたが、その結果半数が背を向けることになってしまったのです。
そこでレオナルドが考案した構図が、イエス・キリストを絵の中心に座らせ、12使徒を横一列に配置するという構図でした。
この構図によって、12使徒全員の顔を鑑賞者に見せられるようになり、弟子の裏切りの瞬間という印象をより強烈に描くことができています。
また、横一列の配置の中心(すなわち絵の中心)にイエス・キリストを置くことで、誰が見ても「中心にいる人物が最も重要な人物=イエス・キリスト」と印象づけることにも成功しています。
これにより、それまでの画家たちのように光輪を描いたりイエスを大きく描く必要がなくなり、あくまで12使徒と同じ人間の体を持ちながら「神(あるいは神の仲介者)である」という神聖な印象を保つことに成功しています。
大きさ
レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』は、その大きさにも驚かされます。
『最後の晩餐』は、イタリア・ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁面に、縦4.2メートル×横8.8メートルの大きさで描かれています。
こうして一枚の絵として見ると、「せいぜい横2~3メートルくらい?」「縦は自分の身長くらい?」と思われるかもしれませんが、実際は2階建ての住宅くらい高いのです。
生で見ると、その迫力に圧倒されます。
16世紀の人々がこの巨大な絵画を間近で見た時の感動を想像すると、最後の晩餐が最高傑作と称される理由も分かりますね。
また、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』は、画像やライブビューイングなどで鑑賞するのではなく、現地で見るべき「体験型」の絵画でもあります。
『最後の晩餐』は、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の床から約2メートルの高さから描かれ始めています。
ただでさえ巨大な絵画なのに、なぜレオナルドは、わざわざ2メートルも高い位置から描き始めたのか?
その理由は、レオナルドが正確な線遠近法を駆使して、この食堂で食事をする修道士たちに、あたかも隣の部屋で最後の晩餐の場面が展開されているかのようなリアルな錯覚を抱かせるためです。
定位置から最後の晩餐を鑑賞すると、イエスと12使徒が等身大に見え、彼らと空間を共有しているように感じられるのです。
キリスト教を信仰している人々にとって、この錯覚がどれほど尊いものだったかも、想像に難くありませんね。
また『最後の晩餐』を俯瞰して見てみると、左側は陰っていて暗く、右側は日が差しているように明るいことが分かります。
これは、食堂の実際の日当たりを計算して描かれているからであり、この光の加減もまた絵画がリアリティを増す要因となっています。
当時の芸術の主流を外れ、空気遠近法や明暗法といったレオナルドが考案した写実的な要素を巧みに取り入れた結果、それまでとまったく異なる新しい芸術を生み出したのです。
「芸術作品は生で見るべき」とはよく言われますが、『最後の晩餐』ほど現物を見る価値のある絵画はないでしょう。
存在していることが奇跡の作品
『最後の晩餐』のような壁画や天井画など、建物に直接描かれる類の絵画は、フレスコ画の技法で描かれることが一般的です。
フレスコ画とは、壁に漆喰を塗った後、その漆喰がまだ新鮮(フレスコ)、つまり生乾きの状態の間に、水などで溶いた顔料で絵を描く技法のこと。
漆喰が乾くと水がかかっても滲んだり溶け出すことがないため、保存に適した技法とされています。
西暦79年、火山の噴火による火砕流で地中に埋もれたポンペイ遺跡の壁画も、フレスコ画を用いたため色や輪郭までハッキリと保たれています。
このように約2000年経っても色褪せないフレスコ画ですが、やり直しが効かないという欠点があります。
失敗した時は、壁面から漆喰を削り落とさなければならず、その分時間も労力も膨大にかかります。
そのためフレスコ画を用いる際は、事前の綿密な計画と、高度な技術力(筆の早さ)が必要な技法なのです。
レオナルド・ダ・ヴィンチは「遅筆」で有名であり、作品自体が未完に終わることも多々ありました。
他にも、
- 使える色に限りがある
- 重ね塗りができず空気遠近法や明暗法といった高度な手法が発揮できない
といった欠点もあり、レオナルドにとってフレスコ画は不向きだったのです。
そこで彼が選んだ技法が、卵を使うテンペラ画と油彩画の混合技法でした。
これなら色彩も重ね塗りも自由にでき、想像通りの『最後の晩餐』が完成すると考えたのでしょう。
しかしながらこの画期的な技法は、かえって仇となりました。
テンペラ画も油彩画も、どちらも壁面に定着しにくい技法であったため、絵画の完成から時が経つにつれて絵の具が剥がれ始めたのです。
また、食堂という湿気が溜まりやすい場所に描かれたこともあり、わずか20年ほどで『最後の晩餐』がカビで覆われたとされています。
この最初の劣化に始まり、『最後の晩餐』は数々の人的・自然的な災難に巻き込まれることになります。
その一例が、以下の通りです。
- 過去の修復者が絵の具の剥離を防ごうとニカワ・樹脂などを塗った結果、埃やススが壁面に吸い寄せられ絵画全体が黒ずみ、オリジナルの絵の具もろとも剥がれ落ちることもあった
- ナポレオンが君臨していた18世紀末、かつての食堂は馬小屋として使われており、湿気はもちろん動物の排泄物によるガスなどで損傷が一気に加速した
- 18世紀末までに2度の大洪水に見舞われ、壁面全体が水浸しになった
- 19世紀の修復家によって壁から絵画自体を剥がそうとして失敗し、壁に大きな亀裂が入った
- 1943年8月、アメリカ軍がミラノを空爆し、食堂の屋根が半壊し3年間屋根がなく、土嚢を積まれただけの状態で雨風にさらされていた
上記のような数々の損傷と損傷を繰り返し受けた結果、レオナルドが描いた当時のものとは大きくかけ離れていました。
大規模な修復作業前の『最後の晩餐』。イエス・キリストの口が閉じていたりと、オリジナルと異なる描写も多い。
今見られる『最後の晩餐』は、1977年~95年にかけて行われた大規模な修復作業によるものです。
この修復では、絵画の表面に付着した汚れとレオナルド・ダ・ヴィンチ以降の時代の修復部分を除去する「洗浄作業」のみが行われ、オリジナルの状態に戻すことを徹底しました。
約20年にわたる洗浄によって、“ほぼ”オリジナルの『最後の晩餐』が復活したのです。
完成した当時ですら「奇跡の絵画」と呼ばれた『最後の晩餐』ですが、今では「存在自体が奇跡」と称されています。
まさに、世界遺産にふさわしい絵画です。
まとめ
どんな傑作もそうですが、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』もまた、傑作に値する数々の理由があります。
レオナルドの天才・異才ぶりと、『最後の晩餐』の見どころ・魅力を知っていただけたら嬉しいです。
そしてこの『最後の晩餐』により、彼の名声は国外にまで広がりました。
次回の連載では、『最後の晩餐』を完成させた後のレオナルドの軌跡を辿っていきます。