以前、日ユ同祖論でも紹介したことがありますが、古代ユダヤ人の失われた10支族は東方へ向かって移動を続けて中国大陸に入り、そこから朝鮮半島を通って日本に渡来した可能性を示唆する状況証拠が数多くあります。
失われた10支族は南北のイスラエル王国分断後にアッシリアに囚われていた人々でしたが、アッシリアが滅亡したあとも、エルサレムには一部しか帰っていなかったと言われており、10支族は事実上歴史から姿を消してしまったことになります。
しかし、実はユダヤ人の聖地であるエルサレムから、遥か東方である古代中国の首都長安や、日本神話で最初に誕生したと言われている淡路島などはほぼ直線的に繋がっています。
中東から東アジア大陸をまたにかけた巨大なこのレイライン上では、各地において重要な場所がほとんど同じ線の上に立っているのです。
果たしてこれらは単なる偶然の一致なのでしょうか?
現在もユダヤ人だけではなく、いくつかの宗教や人々にとっては聖地とされているエルサレムですが、この場所の北緯は北緯31.783度です。
そして、古代中国では王都であった長安、現在の西安市は北緯33.42度に位置しており、この少し北にあたる北緯34.26度の位置に淡路島の岩上神社にある巨石信仰の遺跡、「神籬石(ひもろぎいし)」があります。
この不思議な位置関係は太陽の道とも言われており、天文学に長けていた古代ユダヤ人が東方を目指す際に、このルートを目印にして移動したという説があるのです。
古代ユダヤ人は基本的に原ユダヤ教から太陽信仰の民族であり、日本の最高神である天照大神(アマテラスオオミカミ)も太陽の神だと言われています。
さらに、古代中国には地脈を重要視する考え方が古代から残っており、大地の中心に信仰の中心をおく習慣があったそうです。
この考え方は古代中国では殷周の時代に始まったと言われており、非常に古い時代のものですが、古代文明の位置関係という意味では、世界規模のレイラインだとも考えられます。
古代日本に渡って来た渡来人は中国大陸や朝鮮半島から来ていたことは確かですが、有名な渡来人「秦氏」などは出自が不明であり、古代ユダヤ人が中国大陸などで定住していた一部だという説もあるのです。
加えて、淡路島の神籬石は古くから神が降臨したと信仰の対象とされてきた巨石の1つです。
レイラインの上には各地の重要な遺跡や巨石の遺跡などが存在していることが研究者の間で指摘されていますが、中東のエルサレムから、長安、そして日本最初の地とされてきた淡路島の重要な遺跡である神籬石が繋がっているということには、何らかの意味があるのかもしれません。
ここで紹介した「エルサレムから長安、神籬石まで」の超超距離に及ぶレイラインには若干のズレが存在しています。
レイラインの基本は意図した直線ですが、個人的にはここは科学的な解釈が出来ると思っています。
1つは時代の変動による地形の変化です。
上記で紹介した位置関係は、今現在の北緯計算によるものであり、古代のものではありません。地殻変動によって地球の大陸が太古から動いていることは知られていますが、これは海面の上昇や少しずつ大地が変化した結果だとも考えられなくはないでしょう。
イギリスのレイラインにあるセント・マイケルズ・マウントなどは当初は森林であった可能性が炭素年代測定によって推測されていますし、巨石遺構などはそもそもの起源が現在から約10000年前である可能性まで指摘されています。
これだけの長期間に及ぶ時代の変化があれば、少しずつ大地にも変化があってもおかしくはないでしょう。
もう1つ考えられるのは、現在と古代の位置が少し違う可能性です。
例えば、古代イスラエル民族であるユダヤ人はエルサレムを約束の地カナンであるとして、統一イスラエル王国を築きましたが、その後に何度も戦争が起こっています。
戦争はすなわち領土の分割であり、近代史においてイスラエル国が建国されたのも第二次世界大戦の後です。
もちろん、当時の遺跡としてそのままの姿を残しているものもあれば、地名や位置に関しては若干の差異があっても不思議だとは感じません。
いずれにせよ、レイラインをニューエイジ的な感覚で見れば、天文学によるものが第一に考えられますが、実際の答えはまだまだ未解明なのです。
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