チベットやウイグルで中国は何をしたのか~チベット侵攻~

中華人民共和国が抱える問題のひとつで、世界的にも問題視されているのが「チベット」と「ウイグル」の問題です。

チベットと聞くと、仏教や高い山などをイメージしますが、チベットは中華人民共和国から弾圧されている地域なのです。チベットやウイグルでは、今でも中国当局からの激しい弾圧が行われています。チベットはなぜ中国に統治され弾圧されるに至ったのでしょうか。

中国のチベット侵攻

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中国とチベットは1950年にチベットへの侵攻を始めました。

ことが起こったのは、1950年の秋のことです。鄧小平が率いる十八軍がチベットへの侵攻を開始します。そして、わずか一カ月程度で東チベット軍は破れてしまいます。中国はチャムドを占領しこの戦いでチベット兵6000人の命が失われました。初期の頃は人民解放軍は民間人に対して略奪や虐殺は行わなかったといわれていますが、この後状況は一変します。ちなみにこの時、インドは侵略だとして中国を批判していますが、イギリスも同じ立場を取りましたがどちらの国もチベットを助けることはしませんでした。

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参考資料:毛里和子『周縁からの中国 民族問題と国家』東京大学出版会

     ペマ・ギャルポ『チベット入門』

侵略は徐々に虐殺へと・・・

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侵攻が始まったころは略奪や虐殺は少なかったといわれていますが、徐々に人民解放軍はチベットに対してその牙をむき始めました。

ゴルグでの虐殺

ゴルグという年には、ゴルグ民族と呼ばれる人々が住んでいました。人民解放軍は、ゴルグ族の抵抗に遭った際に兵士を投入して寺院を焼き払います。これき、中国からの入植者に対する反抗としてゴルグ族が中国人を襲ったのがきっかけではありましたが、もとはと言えば中国人がゴルグ族の土地を荒らしたことがきっかけでした。

この後、人民解放軍はゴルグ族の住む街を襲い、数千人ものゴルグ族を虐殺したのです。ゴルグはチベットの中でもかなりのへき地だったためこの人民解放軍の蛮行はしばらく明るみにでることがありませんでした。

参考資料:ダナム, マイケル『中国はいかにチベットを侵略したか』山際素男訳、講談社インターナショナル

カムで起った反乱と虐殺

1955年11月に中国はチベットを自治州として四川の一部とします。そして、どんどん土地改革を推し進めていました。ですが、チベット人はこの改革には当然反対です。もともとは自分たちの土地だったのですから、反発するのも無理のないこと。チベット人は武装して改革に反対し中国に対抗しようとします。

ですが、人民解放軍はこれを許しませんでした。中国は65000もの兵を投入してこの反乱を抑えます。そして、チベット人20000人が虐殺され、さらに20000人のチベット人が逮捕されてしまいました。

この後も、中国はチベットの宗教を有害な物と指定して、一切の宗教活動禁止します。これに反発した住民が寺院に立てこもってゲリラ戦を展開しました。が、チベット側が勝利することはなく、数千人ものチベット人が闘いで命を落としました。

参考資料:wikipedia

ニャロンでの虐殺

ニャロンという都市では、若い女性がリーダーとなって人民解放軍に対抗しました。激しいゲリラ戦となり人民解放軍にも被害がでるほどの戦闘が行われ人民解放軍は数千人ももの兵の命を失うことになります。

人民解放軍の被害への報復…とも考えられるのですがニャロンでは女性が強姦されたり、男性が断種されたりする非人道的な行為が横行しました。僧侶や尼も例外ではなかったそうです。そして、火刑などの残虐な方法で公開処刑が行われます。

これ以外にも、中国はチベットで虐殺を繰り返しチベット人とその文化を弾圧してきました。中央チベットでの虐殺、アムドでの虐殺、そして、他にも虐殺されたたくさんのチベット人がいました。

参考資料:ダナム, マイケル『中国はいかにチベットを侵略したか』山際素男訳、講談社インターナショナル
       チベット国際キャンペーン『チベットの核 チベットにおける中国の核兵器』ペマ・ギャルポ監訳、金谷譲訳日中出 版〈チベット選書〉

なぜ国際社会は中国のチベット侵攻を許したのか

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中国のチベット侵攻が行われたのは1950年以降のこと。今からわずか60年程度前の事ですから、決して大昔の話ではありません。

なぜこんなことがまかり通ってしまったのでしょうか。もちろん、理由は一つではありません。

まず、国連の常任理事国である中国がチベット独立国として認めていなかったこと、そして、国連が朝鮮半島での戦争への対応で手いっぱいになっていてチベットと中国に介入できなかった(しなかった)ことが主な理由として考えられます。

なんともひどい話ですが、これが現実…。こうして、チベットで何の罪もない人々が虐殺され、家や土地を奪われていったのです。

 

参考資料:ロラン・デエ『チベット史』今枝由郎訳

 

まとめ

中国によりチベット侵攻は今なお続くチベット問題のほんの序章にすぎません。

今でもチベットは中国の一部とされていますし、ウイグルでも同じようなことが繰り返されました。そして、今、香港で起っているデモ活動への人民解放軍の介入も懸念されています。中国が何をしてきた国なのか…中国との距離が近い日本に住む渡した立ちも、それを考えておく必要がありそうです。

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Miiko

ライター歴約10年 法学系院卒 得意記事は、歴史・スピリチュアル・法律等々 福岡の隅っこでコーヒー片手に執筆中