古代ギリシャの建築物で有名な神殿と言えば「パルテノン神殿」が頭に浮かびますが、フィロンによって世界の七不思議に数えられたエフェソス(現在のトルコ)にあったアルテミスの神殿は
当時の建築技術の限界に挑戦したものであったと言われるほど、巨大かつ美麗なものだったと伝わっています。
その大きさもパルテノン神殿を遥かにしのぎ、アルテミスの神殿の遺跡の残っているエフェソスは商業的にも信仰的にも栄えていたとされています。
この神殿の建設には隣国の王であったリディア王国のクロイソスという人物が大変な資産家であったことから、建設にかかる費用のほとんどを援助したそうです。
また、アルテミス神殿と呼ばれることからギリシャ神話の女神アルテミスを祀っていたと思われがちですが、実はエフェソス独特の女神を信仰していたとも言われています。
ギリシャ最大級の建築物であったアルテミス神殿
画像引用元:アルテミス神殿
紀元前700年頃にはすでにエフェソスにはいくつかの神殿があったそうですが、それらの神殿のあった場所にリディア王国のクロイソス王の援助のもとで、最初の巨大なアルテミス神殿が建設されます。
およそ紀元前550頃のことだと推定されており、これは別名クロイソス神殿とも呼ばれていました。大きさは幅約55メートル、奥行きは110メートルもあり、円柱の高さは約20メートルだとされています。
しかし、最初に作られたこの神殿は紀元前356年にヘラストラスという人物によって放火され焼失していまいます。
その後、これも推定によるところだと紀元前325年頃までにクロイソス神殿の基礎を利用して何度かに渡ってさらに大きい神殿が建てられます。
この再建された神殿を見て大プリニウスは想像以上の大きさに感嘆したとも言われています。
また世界の七不思議を編纂したビザンチウムのフィロンは以下のように評したそうです。
エフェソスのアルテミス神殿は、神々のただひとつの家である。一目見れば、ここがただの場所ではないことがわかるだろう。ここでは、不死なる神の天上世界が地上に置かれているのである。巨人たち、すなわちアロエウスの子らは、天に登ろうとして山々を積み上げ、神殿ではなくオリンポスを築いたのだから。— フィロン
引用元:アルテミス神殿
ビザンチウムのフィロンが世界の七不思議を編纂したのは紀元前225年頃だとされている事から、おそらくフィロンが見たアルテミス神殿も再建されたものだと言われています。
いずれにせよ、当時既に相当な建築技術をもっていたとされる古代ギリシャの中でも群を抜いて大きな神殿であったのではないしょうか。
アルテミス神殿で信仰されていたエフェソスのディアーナ
古代ギリシャ文化の中でも比較的古い神殿であったアルテミス神殿は、エフェソスのディアーナと呼ばれる女神を信仰していたと言われています。
信仰の対象はギリシア文化以前の古い偶像であった。その元となる偶像は木製で、ギリシアのアルテミスに見られる処女性とは対照的に、豊穣多産を象徴する多数の乳房を持っていた。そして、この女神の象徴は蜂であった。
引用元:アルテミス神殿
簡単に言うと、後世にも伝わったアルテミスとされた像の特徴とギリシャ神話上のアルテミスの特徴が全く一致していなかったのです。
実は、このエフェソスのディアーナという女神はギリシャ文化より遥か昔から土着信仰されていた古代アナトリアの神であったという説があるのです。
古代ギリシャ人達も多神教信仰の中に歴史があったことから、神殿の技術や形態はギリシャ文化であり、信仰対象になったのは少しアジア寄りのギリシャの神ではなかったのかもしれないということです。
アルテミス神殿発見
エフェソスのアルテミス神殿を遺跡として発見したのは、世界の七不思議ではもはやお馴染みになりつつある大英博物館の考古学調査団でした。
イギリス人技師であったジョン・ウッドという人物を中心に1863年頃から数年をかけてエフェソスでの発掘が行われ、ようやくその土台らしき遺跡が発見されましたが、このアルテミス神殿も他の多くの世界の七不思議の建造物と同じく、その姿は残っていませんでした。
それでも現在まで語り継がれる「世界の七不思議」となったのは、このアルテミス神殿の当時の存在感を裏付ける証拠だと言ってもよさそうです。
現在のアルテミス神殿の遺跡には復元された柱が1本残っているだけで、他は瓦礫が転がっているばかりになっています。
トルコ、イスタンブールにはミニチュアで再現されたアルテミス神殿もあるので、もしも立ち寄る機会があれば見てみたいものです。
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