【島根県の心霊スポット】石見畳ケ浦と賽の河原【民俗学で読み解く】

島根県は霊的濃度の非常に濃い土地です。

10月には日本中の「八百万の神々」が島根県出雲市に集うといわれますし、出雲大社は縁結びで有名ですね。しかし同時に日本神話には、黄泉の国=あの世の入口は、出雲(島根県)にあると書かれています。

島根は、あの世とこの世の境目の土地です。ですからそんな島根県には、恐ろしい心霊スポットが数多く存在します。

今回はその中でも天然記念物にも指定されている「石見畳ケ浦(いわみたたみがうら)」と「賽の河原(さいのかわら)」について紹介し、なぜ心霊スポットになってしまったのかを、「水子」「間引き」といった風習をキーワードに、民俗学の視点から読み解いていきます。

全国の水子の怨念が流れつく、本当に危険な場所です。地元の人には心霊スポットとして有名ですが、観光に訪れる人は知らないと思うので、注意してください。

島根県の心霊スポット:海難事故や自殺が相次ぐ? 「石見畳ケ浦」

島根県浜田市の石見畳ケ浦は、自然が長い時間をかけて作りあげた岩の景観が有名な景勝地です。千畳敷が広がる海岸は地質学的に非常に価値のあるもので、天然記念物にも指定されています。

しかしこの石見畳ヶ浦、地元のあいだでは昔から心霊スポットとして有名でした。

というのも海流の関係で、海難事故に遭った死体が流れつきやすい場所だからです。それだけならよくあることなのですが、石見畳ヶ浦では昔から、異常なほどに海難事故入水自殺者が多いといわれています。

そのためこの辺りには、祠やお地蔵さんがたくさん立ち並んでいます。最近のものから、由来のわからない古いものまでびっしりと……。

石見畳ヶ浦の千畳敷

天然記念物であり市内随一の観光地ですから、当然写真がよく撮られます。そのため心霊写真が非常に多いのです。

ただ、石見畳ヶ浦で本当に危険なのは、この千畳敷に通じる洞窟「賽の河原」にあります。

石見畳ヶ浦はあくまで1872年の浜田地震によって誕生した比較的新しい心霊スポットで、賽の河原のほうが長い歴史をもった心霊スポットです。

石見畳ヶ浦の心霊現象、そして異常に多い海難事故や入水自殺は、賽の河原の怨念が招き寄せているのかもしれません。

全国の水子が流れつく? 石見畳ヶ浦の洞窟「賽の河原」

石見畳ヶ浦の洞窟「賽の河原」

石見畳ヶ浦の千畳敷に行くには、「畳ヶ浦隧道」というトンネルに入り、ここから「賽の河原」という洞窟を通って海岸側に出なくてはなりません。

しかしこの洞窟で、異常なほどに心霊現象や心霊体験が語られているのです。石見畳ヶ浦を見にきた観光客の中には、途中の洞窟が怖くて引き返した、という人がいるほどです。

賽の河原は海の波によって岸壁が削られたことに生まれた「海食洞」です。そのため洞窟中には、まるでのように岩地を裂いて海水が流れているところがあります。

まず、賽の河原という名前が不気味です。

賽の河原とは、死んだ人間がいくという「三途の川」の岸辺に積み上げられた石の塔のことです。

賽の河原の石塔

親より先に死んだ子どもは、賽の河原で石の塔を積み上げます。これを積み上げないと、いつまでもあの世に渡ることができません。

塔が完成しそうになると、が現れ、これを壊します。ですから子どもはずっと天国に行けないのです。

これは昔、親より先に死ぬことは最大の親不孝であると考えられていたからです。

そんな迷える子どもの霊を成仏させるのが、観音菩薩(かんのんぼさつ)だといいます。

実際に賽の河原には、積み上げられた石塔や、子どもの霊を供養する大量の石仏やお地蔵様があり、奥では「穴観音」と呼ばれる菩薩が祀られています。

石見畳ケ浦「賽の河原」の地蔵

画像引用元:フォートラベル

賽の河原での心霊体験には、以下のようなものがあります。

  • いないはずの子供の声を聞いた
  • 洞窟で撮影した写真に逆光の中に子供が写り込んだ
  • トンネルを歩いている時に笑い声が聞こえた
  • 白いモヤモヤとした物体を見た

子どもの話が多いですが、これはこの観音菩薩が、水子(生まれてすぐに亡くなった子ども)供養のために作られたものだからです。

民俗学で読み解く心霊スポット:なぜ石見畳ヶ浦に水子の霊が集まるのか

ここからはなぜ石見畳ケ浦が心霊スポットになってしまったのかを、民俗学の視点から考察していきます。

民俗学とは、伝承や風俗、言葉、生活用具といった日常生活の文化をあつかう学問です。柳田国男の『遠野物語』は有名ですね。

そもそも水子供養のお地蔵さんや観音菩薩が、なぜこんな洞窟の奥にあるのでしょうか?

水子供養のお地蔵さんは、基本的にはお寺やその近くにあります。亡くなった子どもを供養するのですから当然でしょう。

最初の話を思い出してほしいのですが、石見畳ケ浦は海流の関係で様々な漂着物が流れつく場所でした。そこには当然、海で亡くなった者の遺体も含まれます。

しかし石見畳ケ浦は1872年の地震で、海底が隆起したことで生まれた地形です。ですからそれまでは漂着物は、洞窟「賽の河原」に流れついていたのでしょう。

おそらく、賽の河原には水子の遺体が多く流れついたのです。さらに洞窟内には海水がのように流れています。

そのためこの洞窟を、賽の河原と見立てるようになったのでしょう。

ではなぜ遺体の中でも水子のものが多かったのか。

それは水子が本来、水辺に流されたからです。

地方の怖い風習:水子のルーツは間引きや子殺しの風習にあった

昔の日本の村は、どこも貧しいものでした。貴族と武家が利益を独占し、まともな暮らしができたのは町人くらいでした。

育てられない子どもは、生まれてすぐに殺されました。他にも障害をもった子や、双子、女子も多く殺されました。子殺しや間引きの風習です。

堕胎や避妊の技術もつたないものでしたから、望まれない子どもも今よりずっと多かったのでしょう。

間引かれた子どもは、山村では川、海辺では海に流されました。だから幼くして死んだ子を「水子」と呼ぶのです。

今でも堕胎することを「流す」といいますね。やはり、身近な場所に埋めたくはなかったのでしょう。

飢饉における子殺しの風習についてはコチラ。詳しくまとめましたのでぜひご覧ください。

人工統計学や寺社の出生記録などから、間引き=子殺しは飢饉などとは無関係に行われており、とくに近世は同時代のヨーロッパと比べても、非常に数が多かったことがわかっています。

これは、キリスト教の貞操観念が強かったのに対して、日本の農民がに奔放な性質をもっていたからといわれています。「夜這い」は有名ですね。

さらに日本では赤ん坊は、生後1ヶ月の初宮参りや7歳を迎えて初めて「人間」になる、という認識がありました。これは乳幼児の志望率が高かったためとされていますが、間引きの罪悪感を減らすためだったのかもしれません。

日本は儒教国家だったため、「子は親の所有物」という思想が根強かったのも理由としては大きいでしょう。

話がズレてしまいましたが、島根の川や海に捨てられた水子たちが、海流によって賽の河原にたどりついたと考えられるのです。

実際に島根県の仁多郡には「あれがもしもし男の子なら 寺へ上らしょ学問さしょに これがもしもしおなごの子なら こもに包んで小縄でしめて 前の小川へそろりと投げる 上から烏がつつくやら 下からどじょうがつつくやら」という手毬歌(てまりうた)が残っています。

これは、生まれた子が男子なら寺にさし出して学問をさせるが、女子なら小縄で絞めて川に捨てるという意味です。水子はドジョウやカラスにつつかれたのでしょう。

こんな間引き歌を子どもたちが歌っていたのですから、島根でも間引き=子殺しが盛んに行われていたことが想像できます。

近世においては島根、いやもしかしたら中国地方中の水子の遺体が、この賽の河原に流れついたのかもしれません。

こういった漂着物が流れつく海食洞では、全国的に漂着物が信仰・祭祀・慰霊の対象になります。漂着神では、「恵比寿(エビス)」が有名ですね。

商業の神としての側面が強いエビスも、もとはイザナギとイザナミとのあいだに生まれた子でありながら、障害児であったために間引かれ、海に流された水子「水蛭子(ヒルコ)」です。

エビス様

賽の河原に流れつき、ふきだまった水子たちの怨念が、海難事故や入水自殺に誘ったのかもしれません。石見畳ケ浦は、親に捨てられた子どもたち、不幸な事故で命を落とした者、自ら命を絶った者、そういったさまざまな人たちの強い想いが渦巻く場所なのです。

余談ですが、賽の河原に通じるトンネルの近くには墓地もあります。やはり昔から、霊的な濃度の高かった地なのでしょう。

霊が本当に好むのは人気のない場所ではない

人の気配のない暗い場所を、人は本能的に「怖い」と感じてしまいます。もいそうに感じるものです。

しかし霊が本当に好むのは、人気のない場所よりも「人が多くおとずれ、にぎわっている場所」ともいわれます。

親からの愛情を受けられず、寂しさを抱えたままの子供の霊や、自殺によって強い想いを抱えたまま辛い気持ちを誰かにわかってほしいという霊など……さまざまな霊がこの島根県の石見畳ケ浦には存在しているのかもしれません。

観光スポットとしても人気が高い反面、心霊スポットとしても昔から有名な石見畳ケ浦なら、強い想いを残す霊が集まることにも不思議と納得してしまいます。

今回は島根県の天然記念物にも指定されている心霊スポットの石見畳ケ浦と賽の河原について紹介し、どうして心霊スポットになったのかを、民俗学の視点で考察してみました。

あの世とこの世の境界である島根県には、他にもさまざまな心霊スポットが存在します。80年代にメディアで活躍された今は亡き冝保愛子さんも祟りに遭ったという、最恐の心霊スポット「かもめ荘」や、縁結びのご利益で有名なあの「出雲大社」も実は日本最大の怨霊が封印されている危険な地であり、心霊スポットの一つともいえるでしょう。

どれもオカルトオンラインで紹介していますので、興味のある方はぜひご覧ください。

賽の河原の地蔵や観音様にイタズラなどをするのは、本当に危険ですのでやめましょう。ですが慰霊の気持ちをもって、お菓子や花をこの場所にお供えをすれば、霊たちも喜んでくれるかもしれませんね。

実際に、不幸にも子を失った者たちが、お供えにここまでやってくることも多いのです。

あなたの身近にある観光地にも、実は寂しい想いを抱えた霊が集まっているのかもしれません。怖いものは、いつも日常に潜んでいるのです。