※これはかつて、父親が目を離した僅か40秒の間に息子が姿を消した『松岡 伸矢くん行方不明事件』に関する記事の【パート2】です。本記事をお読みになる前に、ぜひとも【パート1】をお読みください。

【未解決事件】『松岡 伸矢くん行方不明事件』の真相に迫る -1- 【考察シリーズ】

失踪した伸矢くんについて

松岡 伸矢 (まつおか しんや)


昭和59年(1984年) 4月13日 生まれ

  • 左利き
  • 右眉の上に傷跡(米粒大)
  • 自宅住所や電話番号、自分の年齢、家族の名前が言えた

伸矢くん失踪後

伸矢くんの捜索

玄関先にいたはずの伸矢くんが姿を消した直後、父・正伸さんは親戚宅周辺を捜した。なにしろ目を離した僅か約40秒の間の出来事。それほど遠くに行っていないはずである。しかし、正伸さんは伸矢くんを見つけることはできなかった。

伸矢くんの失踪―。これは当初、迷子であると思われていたが、家族をはじめとした周囲の人間は次第に事態の重さを感じていった。
その後、家族や親類が周辺を捜索、さらには地元消防団もこれに加わったが伸矢くんは見つからなかった。やがて一家は警察に通報。朝の散歩からおよそ2時間後、10時頃のことであった。

通報を受けた警察は県警機動隊、地元の貞光署からは全署員の半数にあたる15名を派遣。これに消防署員、地元消防団や町民合わせて100名にも及ぶ大捜索が周辺の山中で行われた。翌8日の捜索には200名を動員。捜査はその後3か月に及んだが、懸命な努力もむなしく、伸矢くんを発見することはできなかった。

1本の奇妙な電話

伸矢くんの捜索と併せて、正伸さんは親戚宅の電話にテープレコーダーを取り付けた。これは伸矢くんの失踪が誘拐によるケースを考え、犯人からの身代金要求などの電話に備えたものである。

伸矢くんの失踪現場となった親戚宅―。正伸さんがそこでの滞在を許されていたのは、事件発生から10日後の3月17日までであった。その間、これといった事件に関する電話が入ることはなく、時間だけがただ過ぎていく。
そんな中、松岡さん一家が自宅のある茨城県牛久市へ帰る前日の16日、奇妙な1本の電話がかかってくる。以下は通話の内容である。

正伸さんが電話をとる。

―電話の相手 「奥さんはいますか?」
(女性の声、語尾のイントネーションが上がる徳島弁特有の話し方であった)

正伸さんは「誰か分からないけど、徳島弁だよ」と言い、妻・圭子さんに受話器を渡す。
そして圭子さんが電話を替わる。

―電話の相手 「成蹊(せいけい)幼稚園、ナカハラ マイコの母です。幼稚園で見舞金を集めたのですが、どちらに送ればよろしいでしょうか?」「もう帰ってくるんですか?」

これに対し、圭子さんは翌日17日に茨城へ帰ることを伝えた。通話はそれで終わり、これ以降「ナカハラ マイコの母」から連絡が来ることはなかった。
「成蹊幼稚園」とは、伸矢くんの姉が通う幼稚園であった―。

「謎の電話」について

「ナカハラ マイコの母」からの電話に違和感を覚えていた松岡さん夫婦であったが、電話の内容が見舞金についてであった手前、こちらから幼稚園にそのことを尋ねることができずにいた。しかし、それから数日経って幼稚園に問い合わせたところ、見舞金を集めたという事実はないどころか、「ナカハラ マイコ」などという園児は存在しないことが明らかになった。

この「謎の電話」でのやりとりついて、重要なポイントがあるそれはナカハラ マイコの母が口にした"成蹊幼稚園"というフレーズに関してである。
この事件のこの電話に関して、ナカハラ マイコの母が"成蹊幼稚園"と口にしたというのが定説であるが、実際のところは"幼稚園"としか言っていない。つまり「成蹊幼稚園」という固有名詞を言っていないのだ。
"幼稚園の"と言われた圭子さんは、これに対して"成蹊幼稚園ですか?"と返している。そこでナカハラ マイコの母が"そうです。セイケイヨウチエンです"と返すやりとりがあった。
相手からすれば素性の知れない自分の信頼性を高めるために、特定の名称を相手から引き出すこの手法は「オレオレ詐欺」のそれと同じである。


さらなる事件の詳細は【パート3】にて。