「鳥のように空を飛んでみたい」

誰もが一度は大空へその思いを馳せるものです。

"そんなに空を飛びたいなら飛行機に乗ればいい"なんていう人もいますが、それはあまりにも夢のない話です。

今も昔も大空に魅せられた人はいるもので、現在から100年以上前にはアメリカのライト兄弟が飛行機を発明しました。これは誰もが認める偉大な功績でしょう。
ここ日本でも、令和の新時代を迎えた現在からそう遠くない平成に、大空を舞台にしたひとつの出来事が巻き起こりました。それはともすれば、ライト兄弟のように称賛の対象ともなり得ることでしたが、結果的に世間を騒がせる珍事件となってしまいました。

今回の主役は、その珍事件を巻き起こした張本人である「風船おじさん」が主役です。彼は風船で広大な太平洋の横断を試みましたが、果たして...

「風船おじさん」とはどんな人物か?

1992年(平成4年)当時、「風船おじさん」の名を世間に轟かせたのは、鈴木 嘉和(すずき よしかず)氏というピアノ調律師の男性でした。
後に彼は脱サラして音楽教材販売の会社を立ち上げます。そしてこの頃から音楽イベントを開催するようになり、こうしたイベントのフィナーレでは風船を飛ばす演出を行なっていました(この頃からすでに「風船おじさん」となる兆しをみせていたのですね)。
その後、音楽サロンをはじめ麻雀荘、パブレストランなどを経営。しかしこれが上手くいかず、結果的に会社は倒産。およそ5億円の負債を抱えることに。
この頃から鈴木氏は、自作の風船ゴンドラ「ファンタジー号」での太平洋横断を画策しはじめました。その目的は借金返済であったといわれています。

風船おじさんが消息不明となった「ファンタジー号事件」

1992年4月、鈴木氏が消息不明となった「ファンタジー号事件」が起きる数ヶ月前、彼は風船ゴンドラで試験的な飛行を敢行しました。ところが、このとき彼は民家の屋根に不時着する事故を起こしてしまいます。
この事故後、驚くことに彼は「あれが成功していれば、次はハワイを目指すつもりだった」と語っていました。

「ファンタジー号事件」概要

「ファンタジー号事件」のはじまり


1992年11月23日16時過ぎ。鈴木氏はかねてより計画していた太平洋横断を決行。アメリカを目指し、自作の風船ゴンドラと共に空へ浮かんでいきました。出発地は滋賀県の琵琶湖畔。

実はこのときの飛行は200〜300m程度の上昇実験であり、あくまで試験的なものでした。というのも、彼の計画の安全性に疑問があり、運輸省(現・国土交通省)は飛行の許可を出していなかったのです。
しかし彼は、このとき端から太平洋横断へ出発するつもりでした。その証拠に、この飛行前に彼は家族に「アメリカ土産は何がいいか」と尋ね、そのリストを書いたメモを携帯していました。さらに、横断決行時には自宅に多くのマスコミが押しかけるとして、このときすでに家族をホテルへ避難させる手配まで行っていたのです。

 

そして、ファンタジー号は浮上。彼は「いってきます」と言い残し、ファンタジー号を係留していたロープを外しました。

「どこへ行くんだ?」

その場に居合わせた人に尋ねられると彼は、

「アメリカですよ!」

そう答え、周囲の制止を振り切ってそのままアメリカへと向かったのです。

「ファンタジー号」とは

直径6mという大きなビニール風船を4個、これらをメインの「浮力装置」とした。さらに直径3mのものを若干個、これらをサブとした(当初の予定ではメイン風船が6個、サブ風船が26個であった)。
鈴木氏が搭乗することになるゴンドラの外形寸法は約2m四方、深さは約1m。このゴンドラは海上に着水した場合を考慮して、浮力の高いヒノキを使用。

ファンタジー号の積載物


・1週間分の食料(スナック菓子)
・各種計器(緯度経度測定器、高度計、速度計)
・海難救助信号機
・パラシュート
・テレビカメラ
・携帯電話
・地図
・防寒具(スキーウェア、毛布5枚)
・ヘルメット
・マスク
など

実はアメリカへの出発時、破れていた風船があった。しかし鈴木氏はこれに粘着テープで応急処置を施し、「問題ない」とした。
ただでさえ風船が少ないことに加え、破れてヘリウムが漏れてしまった風船を搭載していたために、ファンタジー号の浮力は不足していた。そのため、積んでいた重量のあるもの(酸素ボンベなど)は結局下ろしてしまった。
また、風船については「上空の低温に耐えうる保証はない」というメーカーの指摘があった。さらに日本気球連盟からは、気圧の低くなる上空では風船が破裂する可能性を指摘されていた。

離陸後


離陸した直後から風船内のヘリウムが漏れていた。しかし鈴木氏は「問題ない」として、飛行を続行。

22日(出発日)の22時頃、ホテルに避難させていた家族に鈴木氏からの電話があった。このとき彼は、「風船の様子がおかしく、思ったより高度が上がらない」と家族に伝えている。

翌朝(23日)6時頃には、「素晴らしい朝焼けだ」と妻に電話で話していた。そしてその後の電話では「行けるところまで行く。心配しないでね」と話していたが、この通話を最後に、鈴木氏の携帯電話は不通となった。

24日深夜、鈴木氏からのSOS信号の発信を確認。

25日8時30分頃、宮城県金華山沖の東約800km海上で飛行中のファンタジー号を海上保安庁の捜索機が発見。すると鈴木氏は捜索機に向かって手を振り、SOS信号の発信を止めた。
このときファンタジー号は高度約2,500mを飛行。高いときには4,000mを飛行していた。時速は約70km。北東へ向かっていた。
このときすでに、出発時に搭載していた4個のメイン風船は2個になっていた。

捜索機は約3時間追跡して鈴木氏を監視したが、

・手を振っていたこと
・SOS信号を止めたこと
・ゴンドラ内の荷物を捨てて高度を上げたこと

これらにより、"飛行継続の意思がある"と判断。捜索機は追跡を打ち切った。

これ以後、鈴木氏からのSOS信号は確認されておらず、それから鈴木氏の行方は分かっていない。

おわりに

「風船おじさん」こと鈴木 嘉和氏。

彼の計算では、高度10,000mに達すればジェット気流に乗ることができ、40時間ほどでアメリカに到着するはずでした。しかし今もなお(2020年3月現在)、彼の消息は不明のままです。

彼が生きていれば、現在80歳。彼はいま、どこにいるのでしょうか。

テンペワゾウスキ